
北海道開拓の村へ!120年前のエリート学生たちの息遣いが残る、重厚な木造建築「恵迪寮」の見どころをレポート。クラーク博士は実はここを歩いていない?名前の由来は?「創基150周年」を迎える北大の歴史を時系列でご紹介します。
「北海道 開拓の村」へ
明治から昭和初期にかけて建築された、開拓当時の歴史的建造物を移築再現した野外博物館です。入場料:¥1000(道民)¥800

今回は、北海道大学の寄宿舎をご案内します。
「恵迪寮(けいてきりょう)」
明治36年(1903年)に現在の北海道大学の構内に建てられた、二代目の恵迪寮の一部です。

趣のある外観。クラシックで重厚な木造建築。
玄関棟と、学生たちが生活していた南寮の一部を、解体し開拓の村へ移築・復元したものです。

ここは舎監室だったかな…?

木造の廊下を、当時の学生たちが、実際に歩いていたと思うと、エモい。

柱に掛けられた「生徒監部」の木札

生徒監部…風紀や秩序を取り締まる、先生や職員で組織された部署だそうです。

「生徒監部(大人)」VS「自治会(学生)」と、火花を散らしていたのかもしれませんね。
明治、大正、昭和……と、たくさんの北大生たちの青春を見守ってきた宿舎です。


120年前の青春
寮生たちの部屋の雰囲気が再現されており、当時の学生たちの息遣いを感じることができます。

窓からの柔らかい日差し、ノスタルジックな床板に落ちた格子の影。


時が止まったような、静謐な空間。
ふと、綾瀬はるかさんと三浦春馬さんのドラマ『わたしを離さないで』の寄宿舎を思い出しました。
寮の歴史
📌 1876年(明治9年):クラーク博士が来日し、札幌農学校が開校🏠 1876年:初代寄宿舎が完成(現在の時計台の近く)
【札幌農学校寄宿舎発足時の洋風な夕食】

昔の学生はバターやお肉に、かなり抵抗があったようです。
カレーが出る時は米🍚が食べれる!と喜ばれたそう。
📌 1877年:クラーク博士が「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」の言葉を残して帰国
【クラーク博士の自筆の書】

🏠 1903年 (明治36年):二代目寄宿舎が完成(この『開拓の村』に移築された建物)
札幌農学校が、現在の札幌市中央区(時計台の近く)から
現在の北海道大学の場所(札幌市北区)へ移転。
それに合わせて新しく建てられた木造の寄宿舎です。
クラーク博士が札幌に滞在していたのは、1876年から僅か《8ヶ月間》だけなので
1903年完成の、この建物を博士が歩いたことはないんですね〜。
日本を背負って立つ、次世代のリーダーと期待されたエリート学生。学帽にマント。洒落とる。

バンカラな若者たちの空気感。

💡 「恵迪寮」の名付け親は?
📌 1907年(明治40年):「東北帝国大学農科大学」に昇格することが決定1907年4月8日「記念祭(舎生大会)」が開催され
中国の古典から引用した『恵迪寮(けいてきりょう)』という名前が満場一致で決議
🔍 由来
「恵迪吉(みちにしたがえば、きちなり)」
…「正しい迪(みち)に恵(したが)えば、吉となる」という意味。[中国の古典『書経』の一節]
まさに「自治寮」という感じです。
熱い議論を交わしていたんだろうなぁ。
📌 1931年(昭和6年):大改修
寮生が増え、老朽化などのため、新しく別の棟を増築、一部を大きく建て替え
【昭和初期の寮の朝食】

🏠 1983年(昭和58年):三代目恵迪寮へ(鉄筋コンクリートの建物)
1903年築の木造寮舎が、80年の役目を終えて閉舎。
さらに北側へと移転し、鉄筋コンクリート製の新しい建物に生まれ変わる

現在も北海道大学の敷地内には現役の「恵迪寮」が!
🏠 2023年〜(令和5年〜):四代目恵迪寮
老朽化に伴う大規模な改修・建て替えが行われ、新しい「四代目」としてスタート
開拓の村にある木造建築から、現在の、近代的なビル型の建物へ…時代の移り変わりを感じます🍃
💡北大の歴史「創基150周年」
「北海道大学」は、もともと「札幌農学校」としてスタートし、時代とともにその名前を変えてきました。「創基150周年」は「ルーツ(基盤)ができてから150年」という意味で、札幌農学校の誕生が起点になっています。
- 1876年(明治9年)8月:札幌農学校(←ここが「創基」!)
- 1907年(明治40年)9月:東北帝国大学農科大学
- 1918年(大正7年)4月:北海道帝国大学
- 1947年(昭和22年)10月:北海道大学(現在へ)
歴史のロマンがぎゅっと詰まった、ノスタルジックな恵迪寮。
開拓の村を訪れた際は、当時のバンカラな学生たちの足音に、ぜひ耳を澄ましてみてください♪▼ 北大を歩く(2025.10)
▼ クラーク博士(2025.9)


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