日日是10年。おもひで手帖

夫との日々を「イラスト」で、旅先の美味しい出会いや手料理を「写真」で綴る、暮らしの記録帖。13年住んだ仙台から札幌を拠点に。(2016.2開設)

カテゴリ:お出かけ > 札幌・小樽・石狩・函館 (2026.8)

旅先で突如発生したクレカトラブル。路面電車を降りた停留所で、カードの停止からパスワードの変更まで一気に対応!そして旅は、谷地頭温泉での締めくくりへ…。「不正検知システムによって、不正利用された可能性が高いと判断されました」という通知。AIと相談しつつ、今や ...
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August

旅先で突如発生したクレカトラブル。路面電車を降りた停留所で、カードの停止からパスワードの変更まで一気に対応!そして旅は、谷地頭温泉での締めくくりへ…。


「不正検知システムによって、不正利用された可能性が高いと判断されました」という通知。

AIと相談しつつ、今やるべき対応を取りました。

① セキュリティセンターへ連絡
② カードの停止・再発行手続き
③ アカウントのPWの変更

パスワード変更が鍵

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カード情報が流出した可能性があるため、セキュリティ保護のために新しいパスワードへの変更が必要。

⚠️ 他のサービスで使い回していない、完全に新しいパスワードに設定します!

4桁暗証番号との違い

他に、アカウントのPWではなく、カード利用時の暗証番号(※)の変更も必要かと考えましたが、
Geminiによると、それは不要とのことでした。
(※ カード利用時にレジやATM等で入力する「4桁の暗証番号」)

理由は、今回の不正利用(PayPal決済)は、カード番号や有効期限、セキュリティコードなどの
「ネット決済用情報」が漏洩したことによるもので、
対面レジやATMで使う「4桁の暗証番号(PIN)」が漏れたわけではないからだそうです。

遂に、辿り着いたお風呂!!

イラスト 20261013

全く写真撮っていませんでした…。なんとか、外観だけ。

谷地頭温泉(やちがしらおんせん)

営業時間: 朝6時〜夜10時(6:00〜22:00 / 受付21:00まで)
入浴料: 大人 490円 / 子供 150円 / 幼児 70円 

安いっ!


函館山の麓の、歴史ある源泉かけ流しの名湯。

観光客向けというよりは、地元民の憩いの場…
昔ながらの「銭湯施設」といった気取らない雰囲気です。

明るい時間帯も地元の皆さんで賑わっていました。

お湯は茶褐色

一見すると「茶色いお湯」で、モール泉かと思いましたが、谷地頭温泉の茶色は鉄分と塩分なのだそう。
塩分濃度が高く、湯冷めしにくいのが特徴です。

広々とした内湯は、温度の異なる浴槽に分かれていて、サウナや水風呂も有ります。

面白かったのが、五稜郭(星型)の形をした特徴的な露天風呂の浴槽。

IMG_2668

秋の紅葉や冬の雪景色を眺めながらも気持ちよさそうなロケーション。

地域の人たちの生活に溶け込んだ雰囲気で、トラブルの緊張感もゆったり解けていきました。


アクセスは 市電(路面電車)の終点「谷地頭停留場」から徒歩約5分

市電に乗ってのんびり向かうのが良いですね〜。

石川啄木一族の墓(立待岬)まで徒歩10分、函館八幡宮まで徒歩5分くらいで行けるそうです。

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▽ 初・函館は6年前、湯の川温泉へ(2020.9)

車内のお供

 
帰りの函館→札幌の「特急北斗」号の中で。

長旅(4時間弱)の車内のお楽しみに「函館メロンパイ」と「富良野メロン味」の氷結。

四角いさくさくメロンパイ、美味しかったです♩

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爆睡…。

これにて、夏旅行(完)です。
お付き合い頂きありがとうございました。

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旅の最中に届いた「カード不正利用の疑い」の通知。どう検知されたのか?どう対応すべきなのか?実際のカード会社のセキュリティセンターとのやり取りと「安心チェックリスト」の記録です。慌てず!AIと緊急対処⁠ こういうトラブル時、カスタマーセンターに問い合わせをし ...
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August

旅の最中に届いた「カード不正利用の疑い」の通知。どう検知されたのか?どう対応すべきなのか?実際のカード会社のセキュリティセンターとのやり取りと「安心チェックリスト」の記録です。

慌てず!AIと緊急対処⁠

 
こういうトラブル時、カスタマーセンターに問い合わせをしても、電話が繋がらなかったり
タライ回しに遭ったり、時間がかかってテンパる事が多かったですが…

今回はAIに質問しつつ、落ち着いて進めることが出来ました。

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カード会社の『不正検知システム』に引っかかり、緊急で連絡をくださったそうです。
August_出力_039

電話にて、カード再発行の手続きが速攻完了。
次は、指示されたアカウントの変更です。

(つづく)

実は私も…個人情報流出の波

  
最近、サイバー攻撃による不正アクセス、個人情報漏洩のニュースが後を断ちませんね。

かく言う私も、とあるカーシェアサービスで情報が漏洩した顧客のひとりです…。

以下は届いたメール本文 ⤵︎ ︎

IMG_2025

ちょ…っ!全部やないか〜い!

会社で会員登録している人は社名も部署も全て流出…深刻です。不安すぎる…( ߹ㅁ߹)

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函館旅の終盤、谷地頭温泉に向かう路面電車の中、夫のスマホに届いた「クレカ不正利用の疑い」の連絡!詐欺電話なのか本物なのか…?!旅先での突然のパニックと顛末記です。ホテルのスタッフさんにおすすめされた「谷地頭温泉」を目指して♨️ハセガワストアで「やきとり弁 ...
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August

函館旅の終盤、谷地頭温泉に向かう路面電車の中、夫のスマホに届いた「クレカ不正利用の疑い」の連絡!詐欺電話なのか本物なのか…?!旅先での突然のパニックと顛末記です。


ホテルのスタッフさんにおすすめされた「谷地頭温泉」を目指して♨️

ハセガワストアで「やきとり弁当」という名の「豚串弁当」を頂いたあと


路面電車に揺られていた時のことです。

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様々なラッピング広告の電車が可愛い。

“はこだてがすき”

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謎の着信

 
Mのスマホに突然、見知らぬ電話番号からの着信がありました。
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不審すぎる…!

市電(路面電車)の終点、「谷地頭停留所」に到着しましたが、一旦確認することに。

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Mと二人、停留所で大混乱。

(つづく)

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イカの街・函館で「活いか刺し」を初体験!さて、お味は?函館の夜ぶらを愉しんだあとは、王道の塩ラーメンをいただきます!忘れもの回収の函館旅…だいぶ回収できました。工事中だった① 旧函館区公会堂、完売だった② クレープ、臨時休業だった③ 蔵カフェ、閉店が早く買え ...
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イカの街・函館で「活いか刺し」を初体験!さて、お味は?函館の夜ぶらを愉しんだあとは、王道の塩ラーメンをいただきます!


忘れもの回収の函館旅…だいぶ回収できました。

工事中だった① 旧函館区公会堂、完売だった② クレープ、臨時休業だった③ 蔵カフェ、
閉店が早く買えなかった④ 「やきとり弁当」…

今回が、⑤箇所目「予約無しで諦めた居酒屋」


函館の人気居酒屋さんは予約無しだと厳しく、どこも満席で入れません。
昨年はあちこちで断られ、歩き疲れたものでした。

そこで、1週間ほど前に、宿泊したホテル近くの駅近・居酒屋さんへ予約を入れておきました。

「イカの街」函館

いか清(いかせい)大門店 さん


活イカ料理の老舗店。建物の外観から、イカが名物とひと目で分かります。

予約時間に向かうと、お店の前に数組の列が出来ていました。

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店内の生簀から揚げたてのイカを堪能できるそう…わわく。

お通し(茶碗蒸し)500円
クラシック(中グラス)600円

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活真いか刺 3980円

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活ホヤ酢 980円

こ、これが活刺し…

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イメージしていたイカの「ねっとり・甘み」とは違った感じです。

固すぎないコリコリ?の食感とサッパリした味わい。
普段食べているトロッ…とは別の、シャキッとした歯ごたえがあります。

ゲソは好みで調理法を選べるとのこと。バター焼きに🧈

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カウンターの前の壁にら、ずらり日本酒🍶

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二世古彗星純米吟醸 700円

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北海道産の酒米「彗星」と、ニセコの雪解け水で仕込まれた地酒だそうです。

爽やかで美味しい!

ホヤも日本酒が呑めるようになってから、好きになりました。お酒で食の幅は広がります。


白身魚昆布〆と無限トマト 880円

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いかゴロ陶板焼 720円

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空芯菜炒め 680円

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ちょっとこれは…ゴリゴリでさすがに固すぎた!
知ってる空芯菜ではなかった…(笑)


Mが「函館に来たなら塩ラーメン!」と言うので、移動することに。

人気店を調べるも、目星をつけたお店はどこも閉店が早く、シュン…。

まだ営業中のお店へ向かうと、店頭には長蛇の列!
しかも最後尾のお客さんが「本日終了」の看板を手にしていて、並ぶこともできず撃沈…。

以前寄った「大門横丁」を通り越し…

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▽ 大門横丁で過ごす、平成最後の夜(2019GW)


夜遅くまでやっているお店を探すも、まさかの早じまい。無念…!


お!すごい。

北海道初の珈琲焙煎機だそうです。

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国道278号線沿いはラーメン屋さん激戦区なのに…お店が見つからず、又しても夜の街をうろうろ(笑)

街頭に照らされた少年とリスのブロンズ像。

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函館は通り沿いにこうしたアート作品が多く、夜の街歩きも楽しいです。

ちょうど道路を挟んだナナメ両側に、営業中のラーメン屋さんを見つけました。

澄んだ塩味

 
前回は「ゆうみん」さんにお邪魔したので、今回は「四代目」さんへ。

函館麺屋 四代目 さん


良かった〜!無事、入れました。

ハーフ 塩 700円

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ハーフがあるのは嬉しい!

シンプルで、ホッとする王道のあっさりスープ。

雑味がなく澄んだ味わいが、呑んだあとに優しくしみわたります。

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ごちそうさまでした。

▽ あじさいの塩ラーメン(2020.8)


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函館の護国神社坂を歩くと、そこにそびえ立つ「高田屋嘉兵衛の銅像」に出会いました。国難を救った大豪商の功績と、悲劇に翻弄された弟・金兵衛の足跡を巡る波乱万丈の物語です。護国神社坂のふもと「茶房ひし伊」のすぐ近くに巨大な『高田屋嘉兵衛の銅像』が!だいぶ高い台 ...
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函館の護国神社坂を歩くと、そこにそびえ立つ「高田屋嘉兵衛の銅像」に出会いました。国難を救った大豪商の功績と、悲劇に翻弄された弟・金兵衛の足跡を巡る波乱万丈の物語です。


護国神社坂のふもと「茶房ひし伊」のすぐ近くに
巨大な『高田屋嘉兵衛の銅像』が!

だいぶ高い台座の上に佇んでいます。


江戸時代後期に活躍し「函館発展の恩人」と称された豪商(海運業者・商人)です 。

恩人とは?一体どんな人物なのでしょう?

(なぜか、写真撮ってなかった…)

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【高田屋兄弟の生没年】

兄:高田屋嘉兵衛(たかだやかへえ)
生没年:1769年(明和6年)〜 1827年(文政10年)

弟:高田屋金兵衛(たかだやきんべえ)
生没年:1777年(安永6年)〜 1845年(弘化2年)

明治時代に函館で活躍した相馬哲平よりも、前の時代の人物です。


淡路島の貧しい農家(菊屋)に生まれた嘉兵衛。
20代で船乗りになると頭角を現し、恩人の名から「高田屋」の屋号を譲り受け独立します。

「函館の恩人」と言われる所以

 
1798年、29歳になった嘉兵衛は、箱館(現在の函館)に支店を開設し、21歳だった弟の金兵衛を最高責任者に抜擢。

2人はそこを拠点に、二人三脚で「高田屋」の基盤を作り、北前船の事業を大成功させました。

当時はまだ小さな漁村に過ぎなかった箱館。
若き高田屋兄弟は港を埋め立て、桟橋を整備し、井戸や道路を作り、現在の函館港の土台を築きました。


さらに、函館が大火災に見舞われた際には、私財を投じて被災した人々を救い、
函館のインフラと住民に、絶大な貢献をしました。

国家を救った英雄

  
また、民間人なのに国交を救ったという逸話も!

日本とロシアの国家同士の衝突を、いち商人の嘉兵衛が仲介したという『ゴローニン(ゴロウニン)事件』

※ ゴローニン事件…1811年、千島列島を調査中だったロシアの軍艦艦長ゴローニンが
江戸幕府に捕らえられ、約2年間にわたって幽閉された国際事件。

ロシア側は報復として、高田屋嘉兵衛を捕らえ、カムチャツカ半島へ連行します。
嘉兵衛は「日本とロシアが戦争をしても誰も得をしない」とロシア側を説得し、平和解決へ導きました。

まさしく「日本全国の海運・交易を動かし、幕府をも戦争危機からも救った大豪商」なのです。

嘉兵衛の晩年

  
函館で大成功した嘉兵衛は、故郷・淡路島でも、自費で港の整備や道路建設を行い、
貧しかった地元の農家や漁師のため、産業育成に励みました。

体調を崩し50代半ばで隠居した後は、函館の事業を弟に任せ、
自身は故郷の淡路島に戻って、穏やかな晩年を過ごしたそうです。


ちなみに…大・大・大富豪になった後も、嘉兵衛は驚くほど倹約家でした。

衣服は安い木綿、お茶は一番安い番茶、食事はご飯と汁物におかずが1品だけの「超・粗食」を貫きました。

「贅沢に慣れてしまうと、落ちぶれたときに惨めな思いをする。
普段から粗食と木綿の服で暮らしていれば、すべてを失っても何も困らない」


相当ストイックな人物だったようです。

嘉兵衛が縁となって、函館市と洲本市(淡路島)は親善都市(姉妹都市)として深く交流しています。

高田屋、最大の悲劇

  
嘉兵衛の死後、あまりに理不尽な「高田屋の取り潰し」という悲劇が襲います。

1833年、弟の金兵衛の時代に「ロシアとの密貿易」の疑いで逮捕者が出ました。

2年に及ぶ裁判の結果、密貿易は冤罪と判明したものの…
過去のロシアとの秘密の約束「ロシア船と襲撃を避けるための“旗合わせ”」が
「国家への裏切り」と見なされ、全財産没収・家名断絶という非情な処分を受けます。


幕府の狙いは、高田屋が持つ「1,000億円相当の巨富」を没収し、幕府の財政難を潤すことでした。

弟の金兵衛は、住む場所や自由を奪われ、実質的な流刑(大名預け)という過酷な運命をたどります。

経営の天才!弟・金兵衛 

 
高田屋の歴史の中で、最も多くの船を所有し、最も大きな利益を上げていた「全盛期」は金兵衛の時代。

嘉兵衛の死後、実質的に高田屋を大企業へと成長させたのは弟の金兵衛だったのに…。

函館が深刻な不漁に見舞われた際、金兵衛は海に沈む巨石を引き揚げる公共工事を自費で立ち上げ、
雇用を生み、手厚い給料を払いました。
これにより、約1,000人もの人々が餓死や破産から救われたのです。

この時、引き揚げられた亀の形に似た巨石「亀石」の一部は
箱館戦争の石碑「海軍戦死碑」を作るため、割られて土台に使われています。

現在も函館市弥生町の記念碑の場所へ行くと、金兵衛が人々を救った“歴史の印”を見ることができます。


さて、歴史の理不尽により、すべてを奪われ没落した高田屋…。

私財を投じて函館の街を切り拓いた恩人に対し、なんという悲しい仕打ちでしょう。

時代が流れて江戸幕府が滅びると、1869年(明治2年)新政府は高田屋の過去の功績を正当に評価しました。

「高田屋は無実であり、国を救った忠臣である」

正式に名誉は回復され(財産は戻りませんでしたが)
のちに子孫にはその功績を称える位(従五位)が授けられました。


130年の時を超えて

 
嘉兵衛の没後130年(1957年)を目前に控えた1956年(昭和31年)、
函館で「嘉兵衛の銅像を建てよう!」という機運が盛り上がりました。

その2年後、函館港が国際貿易港として開港100周年を迎える記念イヤー(1958年)に合わせ
函館出身の著名な彫刻家・梁川剛一氏によって、銅像は完成しました。

幕府にすべてを奪われた悲劇の商人が「函館の恩人」として、名実ともに街のシンボルに!

IMG_2139

(じっくり眺めたのに…不覚、写真を撮り忘れたため、Geminiに描いてもらいました。)

銅像をよく見ると、袴姿の嘉兵衛が右手に巻物を持っています。
これは、公式文書を携えた…まさに「ゴローニン事件を解決した」その瞬間を再現したものだそう。

嘉兵衛の銅像が立つ「護国神社坂」の上は、函館の街並みと函館湾が一望できる場所。

彼が切り開いた箱館(現在の元町エリア)を見渡すように、高い台座の上に設置されています。

凛とした顔立ちで、函館の街を今日も見守る嘉兵衛でした。

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次は、赤レンガ倉庫が並ぶ函館のベイエリアへ。オシャレな街並みを散策していると、ハセガワストアの看板を発見。懐かしの「やきとり弁当」に舌鼓…嬉しい寄り道タイムです。金森赤レンガ倉庫と函館港 茶房ひし伊さんを出て、徒歩で10分ちょい。 次は金森(かなもり)赤レン ...
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次は、赤レンガ倉庫が並ぶ函館のベイエリアへ。オシャレな街並みを散策していると、ハセガワストアの看板を発見。懐かしの「やきとり弁当」に舌鼓…嬉しい寄り道タイムです。

金森赤レンガ倉庫と函館港

 
茶房ひし伊さんを出て、徒歩で10分ちょい。


次は金森(かなもり)赤レンガ倉庫へ向かいました。

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明治20年(1887年)、函館で初となる商業用倉庫。
明治40年(1907年)の大火で一度焼失し
現在の赤レンガ倉庫群は、明治42年(1909年)に不燃性の構造として再建されたものだそうです。

イラスト 20260927

遊覧船(ベイクルーズ)を羨ましそうにながめるM

函館 レンガ

青い桟橋から出航するブルームーン(観光遊覧船)は
函館港内を1周するコースで、所要時間は約30分くらいです。

これは又次回…!次回のお楽しみを残しておくのも良き。

文具の博覧会

 
今回の赤レンガ倉庫に立ち寄った目的はこちら⤵︎ ︎

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『はこだて 文具の博覧会 mini
ハッピーペーパーマーケット』

(2026年8月7日〜16日 開催)

文房具クリエイターさんが集まって、便箋やハンコや、とにかく可愛いものが沢山♪

お客さんは老若男女問わず、とても盛況でした。

ムーミンの物語100枚レターブック-小説の中の幻想挿絵- ([バラエティ])もう、お手紙を書くことはなくなりましたが、昔はよく可愛い便箋や封筒
ハンコやシールを集めて書いていました。

今もこうして、文房具がブームなのは嬉しい。

ネットやメールが主流で、ペーパーレスが叫ばれる昨今ですが、紙文化が続いてくれるといいなぁ。


 木造のSTARBUCKSもおしゃれでカッコイイ!

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この函館ベイサイド店は元々あった既存の建物を丸ごとリノベーションしてオープンしたものだそうです。

イラスト 20260927

スタバ公式によると、この建物や港が広がるロケーションが
アメリカ・シアトルにある1号店「パイクプレイスマーケット店」にそっくりなのだとか。


ラッキーピエロはいつも、どこも行列です。

その隣に 、ハセガワストアの大きな「やきとり弁当」の立体の看板を発見しました。

イラスト 20260927

函館カルチャー

  
私とMの思い出の味…函館夜景を見た朝にふたりで食べた函館名物。

▽ 思い出の味(2019.GW)



前回の旅行中「夜食にやきとり弁当を買おう!」と思っていましたが
営業終了が意外と早く、購入できませんでした。

ハセガワストアは24時間開いているのは一部の店舗のみ。
夜8時〜10時に閉まってしまうところも多いです。
店内調理がメインで、一般的なコンビニというよりは「お弁当屋さん」にも近いかもしれません。
 

ハセストのやきとり弁当

  
名物の「やきとり弁当」は、注文を受けてから、店内でスタッフさんが焼いてくれます。

レジのスタッフさんに注文すると
「本当は紙に書いてもらうんだけどね」と言い、紙を取ってきて注文を書いてくださいました。

他のお客さんを見ていると、入口付近にある専用の注文用紙にさっと記入して
レジに並んで手馴れた様子。あわゎ…

お盆期間は限定メニューのみ。
やきとり弁当(小)693円(税込)
※ 店内飲食

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「やきとり」なのに豚肉?

豚さんの絵が蓋に描いてあります(笑)
北海道の道南エリアでは「やきとり=豚バラ肉」を指すそうです。

IMG_9567
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長ねぎと交互に刺した豚串です。

私はツウとされる(?)「シオ」味。
隠し味にガーリックが入っていて、食欲がそそられる味です。

Mは1番人気は「タレ」味。

IMG_1923

もちろん、美味しい!

Mも嬉しそうに、念願のやきとり弁当を頬張っていました。

実は、裏ワザの「MIX」もあり「タレ1本、シオ2本」のように注文もできるそうです。

ごちそうさまでした。

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天才詩人として文学史に名を残した石川啄木。しかし、その素顔は…?周囲を巻き込む「寂しがり屋の破滅型」?啄木の函館の日々を振り返りながら、彼を支えた友人たちの愛と葛藤の人間模様、濃密な物語をどうぞ!さて、護国神社坂の上の方には「石川啄木の歌碑」が建っていま ...
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一握の砂

天才詩人として文学史に名を残した石川啄木。しかし、その素顔は…?周囲を巻き込む「寂しがり屋の破滅型」?啄木の函館の日々を振り返りながら、彼を支えた友人たちの愛と葛藤の人間模様、濃密な物語をどうぞ!


さて、護国神社坂の上の方には「石川啄木の歌碑」が建っています。

石川啄木は漫画『ゴールデンカムイ』に「ゲスで頭が切れる女好きの新聞記者」として登場しますが
史実はどんな人物像だったのでしょう?

函館の「幸せな日々」

  
石川啄木にとって、函館は「生涯で最も幸せな時間を過ごし、死んだあとも眠りたかった心のふるさと」

彼が実際に函館に滞在したのは、1907年(啄木 21歳)の約4ヶ月と短い期間。

故郷の岩手で小学校の教員をしていた啄木ですが、校長と対立して職を失い、
新しい生活の基盤を求め、函館へ渡ってきました。

函館の文学仲間(その中には将来の義弟・宮崎郁雨も)に温かく迎えられた啄木は
彼らの支援のおかげで、盛岡から妻や娘、母を呼び寄せて新生活をスタートさせます。

小学校の代用教員や、新聞記者としての職も得て、
波乱の人生の中で「穏やかで幸福な時間」を過ごしました。

一握の砂

しかし「明治40年の函館大火」で、その幸せは奪われます。
職を失った啄木は、次の地を求め函館を去ることに…。

函館に残された妻・節子は、生活費を工面するために
先日ご紹介した「茶房ひし伊(旧入村質店)」へ実際に通い
行李ごと呉服を質に入れていたという話が残っています。

その後、啄木は東京へ移り、天才詩人として名を馳せるも、26歳という若さでこの世を去ります。

彼は生前、友人への手紙に「死ぬときは函館へ行って死ぬ」と書き残すほど函館を恋しがったそうです。

啄木の死後、節子は当時身ごもっていた子供を出産し、翌年、26歳で啄木と同じ結核で死去しました。

石川啄木
生没年:1886年(明治19年)2月20日-1912年(明治45年)4月13日

妻・節子
生没年:1886年(明治19年)10月3日-1913年(大正2年)5月5日

破天荒すぎる素顔

  
薄幸の天才歌人…かと思えば、なかなかに破天荒だった啄木。

出版した歌集『一握の砂』の中でも、沢山の女性関係(恋模様)が歌われています。

既婚女性に「君の事を歌った詩が22首あるよ」なんて、手紙と本を送ったり…

一握の砂

はたらけど はたらけど ──という有名な歌がありますが、彼はとにかく遊興費がかかる男でした。

妻がつけた家計簿には、貧しい食事の中に、
啄木のための「うなぎの蒲焼き」「お寿司」「チョコレート」「コーヒー」などが記録されていました。

貧しくても、借金をしてでも、都会のカフェで、贅沢品だった「ココア」を嗜み
夜になれば羽織を質に入れてビールを飲みに行く…。

ココアのひと匙

※ Geminiに描いてもらった啄木。
おデコの広いかっちり七三分けの写真を思い出す方も多いと思いますが、実際は強い天パだったそうです。

インテリでハイカラな自分に酔いしれ、不安を癒す…贅沢こそが若い啄木の心の拠り所だったのかもしれません。

女遊びに耽る日々

  
が!そのカフェ代も、日々の家賃も、友人から借りまくったお金という(笑)

人のお金で酒・女・贅沢を楽しんで、家賃も踏み倒しまくった、とんでもない破滅型でした。

性格は自己中で、エリート意識(自惚れ)が強く、節子に対してモラハラ激しく、マザコン。


のちに、宮崎郁雨は回想録を残しています。

晩年に出版した『函館の砂―啄木の歌と私と』では、愛と怒りと哀しみが入り混じった想いが綴られています。

「啄木の才能には心から心酔していたし、愛していた」

「しかし、彼の生活力のなさ、自己中心的な行動が家族をどれほど不幸にしたかについては、
本当に許しがたかった」


啄木は日記に細かく『借金メモ』をつけていました。
その中で、1番お金を貸して(差し出して?)いたのも郁雨でした。

しかしある日、郁雨が妻・節子宛てに送った手紙を見た啄木は「不貞」を疑い激怒。
郁雨へ絶交状を送ります。

自分は東京で吉原の遊郭に繰り出し、芸者や女給と遊び歩いて、借金を重ねたくせに…おまそれ?
※ 女給(今で言うホステスさん)

郁雨は函館で、家族をまるっと世話してくれた恩人なのに…。
啄木は病床にあっても「郁雨のもとへは行くな」と執念を燃やし、疑い続けました。

それでも、啄木の死後、現在も函館の立待岬にある「啄木一族の墓」の建立に宮崎郁雨は奔走します。
(啄木の娘たちも病死で短命でした。)


実は絶交してもなお、郁雨は知人を介して、啄木に内緒で金銭的援助を続けていたそうです。

身勝手な啄木への愛憎を超えた、郁雨の強い責任感と漢気を感じます。

石川啄木

そして、郁雨と一緒にお墓作りの資金を集めたのが、もう一人のキーマン・金田一京助

のちに国から文化勲章も授与される日本を代表する言語学者ですが
彼もまた、啄木に振り回されまくった一人でした。

究極の「推し活」

  
アイヌ語研究の本格的な創始者であり、「三省堂などの国語辞典」の監修、編集に携わった人物で
1番身近な所で言うと、ミステリー小説の金字塔「金田一耕助」の名前のモデルでもあります。

じっちゃんの名にかけて!

金田一は、啄木の「4歳年上(2学年先輩)」
同じ岩手出身で、同じ中学校(盛岡尋常中学校)の先輩・後輩という間柄でした。

中学校で「神童」と話題だった後輩。
上京した啄木は金田一の下宿に転がり込み、怒涛の共同生活がスタートします。

啄木の度重なる金の無心や家賃滞納で、金田一は荷車2台分の大切な蔵書を売り払い、30円を工面。
※「明治末期の1円=おおよそ現在の1万円」

二人で「蓋平館別荘」へ引越します。
啄木が案内されたのは超狭小部屋でしたが、窓を開け「富士山が見える!」と大はしゃぎしたそう。

金田一は家財や服を質屋に持ち込み、身を削って啄木を支え続けました。


その後「東京朝日新聞」の校正係(月給25円)として定職を得た啄木は
函館でずっと待っていた家族を東京へ呼び寄せ、床屋の2階に新居を借りました。

上野駅まで家族を迎えに行った日(1909年6月)以降『ローマ字日記』※ の筆はぴたりと止まります。

重なる悲劇

  
念願だった家族との東京生活でしたが、それもわずか2年余り…。
待っていたのは貧困と病魔に追われる苦しい日々でした。

一握の砂

上京から4ヶ月後、姑からの嫁いびりに耐えかねた節子は、娘を連れて盛岡の実家へ家出。
郁雨らの説得で戻るも…翌年は、生後ひと月の長男が息を引き取るという悲劇が一家を襲います。


さて、金田一は一時、啄木と距離を置いていました。
(奥さんに「啄木さんと私、どちらが大事なんですか?」と涙ながらに詰め寄られたエピソードが!)

それでも、親友の死の間際には、何とかお金を工面して病床へと駆けつけました。


晩年、人から「啄木に貸したお金、総額でいくら?」と聞かれ、金田一はこう答えたそうです。

「そんなことは覚えていません。ただ、僕の持っていたものは、全部彼のものだったのです」

お人好しか、啄木の才能に惚れていたのか…
今で言う、究極の「推し活」だったのかもしれません。


啄木の代表歌集『一握の砂』の巻頭には、啄木自身の手で、感謝の言葉が記されています。

「函館なる郁雨宮崎大四郎君 同国の友文学士花明金田一京助君 この集を両君に捧ぐ」

一握の砂

この「示しし人」は誰なんだろうなぁ…?

もし生前にしっかり印税が入っていたら(マメにメモを残すくらいですし)
きっと周りに色をつけて借金を返してたんじゃないかな?と思います。

友の絆

  
さてもう1人、啄木の人生のラストスパートを支えた人物に「朝日新聞」の同僚、
歌人の土岐哀果(ときあいか/本名:土岐善麿・ぜんまろ)がいます。

後年は本名で国語審議会会長を務めるなど活躍し、
日本で最初の「駅伝(東海道駅伝徒歩競走)」を企画・提案した人物でもあります。


金田一や郁雨が「長年の親友」だとしたら、土岐は「人生の最後を過ごした相棒」でしょうか。

哀果は啄木の1歳年上。二人は互いの才能を認め合い、無二の親友になりました。

先ほど書いた、絶交していた啄木への郁雨の内緒の金銭援助を仲介した知人というのが哀果です。

そして、病床を何度も見舞い、最期を看取り、遺作を世に送り出したのも哀果でした。

一握の砂

彼は残されたノートを整理、啄木のエッセイの一節から、遺歌集『悲しき玩具』というタイトルをつけ発行。

さらに『啄木全集』の編纂(へんさん)にも奔走し、文豪・石川啄木の名を後世に残しました。

啄木と友達

啄木はダメな所も多いけれど、人たらしで、憎めない可愛い面も多々あったのでしょうね。

現代における高い評価は、彼の死後、友人たちの熱心な働きかけによる功績も大きいと思います。

第一歌集『一握の砂』
出版: 1910年(明治43年)12月
(啄木 24歳)

第二歌集『悲しき玩具』
出版: 1912年(明治45年)6月
(没後 2ヶ月)

日記『ローマ字日記』
執筆: 1909年(明治42年)4月〜6月(啄木 23歳)
出版: 1948年(昭和23年)10月
(没後 36年)

秘密の日記

   
(※ 補足:ローマ字で書いた「秘密の日記」)
ローマ字を読める人が少なかった時代、妻に読まれたくない娼家通いや、嘘や本音や弱音を記したもの。

「死んだらノート類は全て燃やして!」と頼んでいた「プライベートノート」だったのに…
世間に公表された事は、本人は相当不本意だったでしょうね〜。(お空の上で)

IMG_2036

遺族や友人たちが、日記を見つけ、その生々しさに「赤裸々すぎる」けれど「文学的に価値がある」と…
「燃やすべきか、残すべきか」激しい葛藤ののち(終戦後)文学的遺産として出版されました。





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行こうとしたお店を勘違い?うっかり辿り着いた「茶房 ひし伊」絶品あんみつと大正ロマン漂う蔵空間を堪能。実はこちらは石川啄木の妻・節子が通った質屋跡で…?函館カフェ日記。  勘違いと素敵カフェとの出会い    忘れ物回収旅…次はここ!と決めていました。▽ 臨時 ...
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行こうとしたお店を勘違い?うっかり辿り着いた「茶房 ひし伊」絶品あんみつと大正ロマン漂う蔵空間を堪能。実はこちらは石川啄木の妻・節子が通った質屋跡で…?函館カフェ日記。  

勘違いと素敵カフェとの出会い  

  
忘れ物回収旅…次はここ!と決めていました。

▽ 臨時休業(2025.9)


クレープ屋さんを出て、港ヶ丘通りから二十間坂を市電通りの方へ少し下り、五島軒本店を通り過ぎ

見えてきたのは…

質蔵をリノベーションしたアンティークカフェ
茶房 ひし伊


「臨時休業だった喫茶店」に行くつもりが、うっかり勘違い!

『café Mägin』さん…を目指していたはずが、気づけば『茶房ひし伊』さんに到着していました(笑)

IMG_1917

茶房ひし伊さんと café Mäginさんの距離は、徒歩で約2〜3分、どちらも宝来町エリアの蔵カフェです。

建物すぐ左側の『高田屋嘉兵衛の銅像』を覚えていたので「ここだ!」と思いこんでしまいました。

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「ひし伊」さんの黒漆喰の外壁⤴︎

歴史が残る質蔵建築

 
函館大火を含め、3度の火事を耐え抜いた貴重な歴史的建造物だそうです。

(私撮影)

IMG_9536

(M撮影)

IMG_1888

1921年(大正10年)に建てられた「質蔵」です。

元々は、右隣の1905年(明治38年)築の土蔵に質草が入りきらなくなり、大正時代に建て増しされました。

現在、右側の店舗は『古きものなどなど』という店名でお着物や小物、アンティークを販売されています。

(私)

IMG_9535

ベンガラ色の観音開きの蔵窓の重厚感。
Mの写真の方が発色が良い!!

(M)

IMG_1887

正面はこのベンガラ色の観音扉が並び、側面は黒漆喰の壁。防火機能と大正ロマンを感じるデザインです。

啄木の妻ゆかりの質屋跡であんみつ

   
太い梁が見える、大正モダンな店内。
2階もあるようで、ちょうど若いカップルが降りてきました。

IMG_9543

明治時代、歌人・石川啄木の妻(節子)が、生活費を工面するため、こちらの質屋へ通っていたそうです。

俳優の高倉健さんも訪れ、お気に入りのカウンター席で、珈琲を楽しんでいたというエピソードも。

静けさと落ち着きに…少し緊張。

間違ってしまったけれど、これもまた旅の一興…結果的に大満足です。


白玉抹茶クリームあんみつ お抹茶付き ¥1300

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白玉抹茶クリームあんみつ
マイルドブレンド珈琲付き
¥1450

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器が可愛い。

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しっかりめの寒天と、懐かしのチェリー🍒
たっぷり黒蜜をかけて…

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ずっと歩き続けていたので、甘味が嬉しい〜。

護国神社坂の上には姉妹店のバーもあります。🍸


さて、次回はひとりの天才と彼を愛しすぎた人々の物語。
『石川啄木と函館と仲間たち』へ続きます!

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休みだったり、売り切れだったり。そんなスポットを巡る「忘れ物回収旅」。大行列の人気クレープ屋さんや、函館大火・五島軒の歴史に触れながら、街歩きエピソードをお届けします。今年の函館には「裏テーマ」がありました。工事中だったり、お目当てのお店が臨時休業だった ...
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休みだったり、売り切れだったり。そんなスポットを巡る「忘れ物回収旅」。大行列の人気クレープ屋さんや、函館大火・五島軒の歴史に触れながら、街歩きエピソードをお届けします。


今年の函館には「裏テーマ」がありました。

工事中だったり、お目当てのお店が臨時休業だったり…過去の函館旅は、そんな連続。

旅にはつきものの、ちょっとした心残り。

というわけで、過去に残した「忘れ物」を拾いあつめる「忘れ物回収旅」です。

もし、機会があれば又…と、ひっそり思っていましたが、その機会が巡ってきました。


前回の旅では、前々回に見れなかった「晴れの函館夜景」を見る事が出来ました。

今回、先ずは「工事中で入れなかった、黄色い旧函館区公会堂」を訪れ、1つ目標達成🎉

▽ 旧函館区公会堂と相馬哲平の物語


次は…こちら!

「売り切れだったクレープ」

▽ 街角クレープさん、売り切れ…(2025.9)


あれれ?元町エリアへ移転していました。

街角クレープ

イラスト 20260927

おっと!10時半頃到着しましたが、既に行列です。


そうそう、この三角の目印!

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クレープだから、回転早いだろうと高を括っていましたが、長時間並ぶことになりました。

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バターとカソナードだけのシンプルなクレープも魅力的ですが
これだけ並んだなら…折角ですし、期間限定クレープ をꯁꯧ

残念なのが、待っている間、職人さんがクレープを焼く手元や、巻く作業がよく見えないことです。


自分の番が回ってきたら、この小さなお渡し口で注文を伝えます。

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しっかり、1時間10分並びました…( ˊᵕˋ ;)

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ピスタチオのアイスクリームが乗った期間限定クレープも美味しそうでしたが
暑くて、溶けてしまいそうで、断念。

《期間限定クレープ》

塩キャラメルとチョコレートと三種のナッツ
980円

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しっかり、パリッと固めに焼かれた生地に、美しいまだらの焼き色…✨

ナッツがごろごろと具だくさんです。

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もちもち美味しかったんですが…
待ち疲れで、実はあんまり味を覚えていない…おかしいな。

この煉瓦前が写真スポット。

皆さん、この場所でクレープを掲げ、順番に写真を撮っていました。

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クレープ屋さんを出て、港ヶ丘通りを函館山ロープウェイの方向へ歩き、八幡坂(はちまんざか)へ。

坂の上から海に向かって広く伸びる道は、いつ見ても本当に美しい。

IMG_9530

観光客の皆さん、各々のポーズで大写真撮影会となっています。

函館大火の記憶

      
函館の街は、海からの強風と木造住宅の密集が原因で、何度も大火災に見舞われてきました。

1907年(明治40年)の大火では、当時函館に滞在していた歌人・石川啄木も焼け出され
1934年(昭和9年)の「函館大火」では、全市の約3分の2が焼け野原になるという悲劇が起きています。

そこで、火事が反対側に燃え移らないよう、防火壁の役割を持たせた坂道を太くまっすぐに区画整理。

レンガ造りやコンクリート造りの燃えにくい建物を積極的に建てました。

元町カトリック教会

  
遠くに、異国情緒を醸すカトリック元町教会の大鐘楼!

IMG_9532

大鐘楼のてっぺんに風見鶏が乗っています。

塔の中にある鐘は、大正13年に当時のローマ教皇から、はるばる贈られてきたものだそう。


さて、八幡坂からさらに10分ほど歩き、二十間坂(にじゅっけんざか)を市電通りへと少し下ると
老舗レストランの前を通りかかりました。

※ 二十間坂は1897年(明治12年)の大火後に「防火帯」として造成された坂。路幅が二十間(約36m)あるとか。

五島軒 本店

IMG_9533

1879年(明治12年)創業の老舗です。

五島軒が店舗を全焼した回数は、なんと通算4回…!

えーーーっ

明治40年の大火で、現在の場所へ移転しますが、昭和9年の「函館大火」で、またしても全焼…
翌1935年(昭和10年)、不退転の決意で建てられた鉄筋コンクリート造りの洋館です。

北海道初の「国登録有形文化財」にもなっています。

「高級な老舗カレー」が、なんだか「執念と復興の奇跡の味」に思えてきます🍛✨ 

次に函館に来るときは、ぜひこの伝統のカレーを味わってみたい!

さて、次へ進みましょう。

(つづく)

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函館・日和坂を登り、見つけたのは北海道最古の「船魂神社」横断歩道のない道路を前に…Mは?水に溶ける祈願符や義経伝説など、神社の見どころもご紹介します。札幌って…とっても広いです!札幌市の面積は、ひとつの“市”なのに、東京23区の約1.8倍!東北の大都市・仙台市 ...
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イラスト 20260928 2

函館・日和坂を登り、見つけたのは北海道最古の「船魂神社」横断歩道のない道路を前に…Mは?水に溶ける祈願符や義経伝説など、神社の見どころもご紹介します。


札幌って…とっても広いです!

札幌市の面積は、ひとつの“市”なのに、東京23区の約1.8倍!
東北の大都市・仙台市や、福島市と比べても約1.4〜1.5倍のスケール。

この夏巡った↓札幌、石狩、小樽、函館のサイズ感をマップにまとめました。

イラスト 20260927

「夏の函館」つづきです。

日和坂とMのお手本

  
市電「末広町」下車、函館山に向かう「日和坂」を登りました。

後ろを振り返ると、函館港と坂の美しい景色が広がりますが…私は息も絶え絶え(笑)

August_出力_028
信号もなく、横断歩道が1箇所だけの十字路に差し掛かると、Mは左側の歩道へと渡りました。

とことことこ…

August_出力_029
車の走行がなく、安全が確認できて、
近くに横断歩道がない場合は、ササッと直進したいところですが

大人として、子供の前でルール違反したくない気持ち分かります(笑)

IMG_9429

ゼーハー。

坂の上に、案内板が出てきました。

日和坂の由来
「坂の上から港を眺め 日和を判断した名残りです」

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ふむふむ。右側に「旧相馬邸」も描かれています。


さらに上の道を行くと、鳥居のマーク⛩

北海道最古の「船魂神社」

  
船魂(ふなだま)神社の鳥居⛩

IMG_9529

立て看板に「義経の里」の文字。

結構、勾配がきついです…(||´Д`)

IMG_9528

手水舎の風鈴が可愛い🎐

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北海道最古の神社「船魂神社」

IMG_9525

神社の歴史を記した社記に、平安時代の「保延元年(1135年)」に創建されたと残っているそう。
今から900年近く前…北海道がまだ「蝦夷地」と呼ばれた頃ですね。

ここ船魂神社には、潮流の神様『塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)』をはじめとした
海の神様たちが3柱、祀られています。

本州から渡るのが命がけだった時代、その名の通り、津軽海峡を渡る船の安全を守る「海上安全の神様」として信仰されてきました。

祈願符と源義経ロマン

  
『水に溶ける祈願符』(初穂料100円)

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私も一枚、1番大切な願い事を書きました。

童子岩(どうじいわ)※ があり(写真撮ってなかった…)
その前の石鉢の中の御神水(ごしんすい)に祈願符を浮かべます。

左端の方にそっと浮かべると、すーっと祈願符は願いと共に消えていきました。

IMG_9527

※『童子岩』とは… 
「津軽海峡で嵐に遭い、命からがら函館に上陸した源義経が、喉の乾きで困り果てていると
忽然と童子の神様が現れ、清水の場所を教えてくれた」
という伝説です。
その童子神が立っていたとされる岩。


歴史では、岩手県の平泉で亡くなったとされる源義経ですが、北海道上陸の逸話があちこちにあります。

積丹半島では、行く先々でアイヌのお姫様たちを泣かせて去っていく義経。
チャレンカ姫に、シララ姫…彼女たちの未練が、積丹の神威岩や女郎子岩になったという伝説があります。

▽ 積丹ブルー💙(2024.7)


北海道の義経伝説のバリエーション…

「きっと生き残って、北の大地に流れ着いたんだ!」という当時の人々の願い、
「悲劇のヒーローとして終わらせたくない!」という思いが、沢山の物語を紡いだのでしょう。

義経がいかに愛されていたかわかります。

函館の美しい景色を眺めながら、そんな淡いロマンに思いを馳せました。

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 「小樽の海」が飲み込んだ、光と影の物語(後編)。栄華を極めたニシン漁の衰退、労働者たちが流れついた、地獄の「蟹工船」——。虐げられた人々のために命を燃やした若き文豪・小林多喜二の人生を追います。▽ 北前船の恩恵とニシン漁のバブルにより、莫大な富を築いた大 ...
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「小樽の海」が飲み込んだ、光と影の物語(後編)。栄華を極めたニシン漁の衰退、労働者たちが流れついた、地獄の「蟹工船」——。虐げられた人々のために命を燃やした若き文豪・小林多喜二の人生を追います。


▽ 北前船の恩恵とニシン漁のバブルにより、莫大な富を築いた大網元たち

ニシンバブル崩壊

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北前船

北前船(きたまえせん)は、ただの輸送船ではなく
「買い積み」というビジネスを行っていた、超大型商業船。

大阪で仕入れたお米や服を、寄港地で売りながら北上し、北海道(小樽や函館)でニシンや昆布を仕入れ、
それを本州で高く売り、一往復で現在の数千万円~数億円もの利益を叩き出しました。

蟹工船

小樽ゆかりの作家・小林多喜二の有名なプロレタリア小説『蟹工船(かにこうせん)』の舞台。

法律の届かない外洋の船上で、劣悪かつ過酷な環境のなか、労働者たちはカニの缶詰作りに酷使されました。


今年(令和8年)は昭和でいうと、昭和101年。
今から、100〜200年前のお話です。

同時期に生きた人物達を生没年表にしてみました。

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青山政吉・政恵が豪邸に着工したのが、初代・留吉の他界、翌年というのが…色々想像しちゃいます(笑)

「蟹工船」と、使い捨ての労働者

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※ プロレタリア文学… 過酷な労働環境に置かれた労働者が団結して不条理な社会の変革に挑む文学作品。




エリート銀行員にも関わらず、声をあげた小林多喜二(こばやし たきじ)とはどんな人物?
August_出力_025

多喜二の生涯と、彼をめぐる人々

  
小林多喜二は、秋田の貧しい農家に生まれました。

幼少期に叔父を頼って、家族で小樽へ移住し、叔父のパン工場で働きながら学校に通っていたため
根っこには「貧しい働く人々」への強い共感がずっとありました。

小樽高等商業学校(超名門校)時代から校内誌などに作品を発表し、文才は群を抜いていた多喜二。

卒業後は「北海道拓殖銀行(拓銀)」の小樽支店に勤務し、エリート銀行員としての道を歩み始めます。

1929年5〜6月、プロレタリア文学誌に掲載された『蟹工船』が大ヒット。一躍、脚光を浴びます。

しかし同年11月『不在地主』を発表したことで、状況は一変。

小樽の「磯野小作争議」をモデルに、農民搾取の実態を描いたこの作品は
自身が勤める「拓銀」の冷酷な搾取構造を実名に近い形で、露骨に批判・告発したものでした。




「中央公論」に掲載され大問題となり、多喜二は拓銀を即座に解雇されます。

小樽での生活基盤を失い、警察(特高)から危険人物として厳しくマークされるなか
1930年3月、強い決意を胸に拠点を小樽から東京へ。
※  特高(特別高等警察)…思想を取り締まる「秘密警察」

「全日本無産者芸術団体協議会・通称NAPF(ナップ)」へと、身を投じていきました。

生涯の恋人・田口タキ

   
多喜二が1928年に執筆した短編小説『瀧子(たきこ)』
貧しさゆえに酌婦(お酒の席でもてなす女性)として働かされ、借金に縛られている少女・瀧子。

この作品は、多喜二が恋人の田口タキをモデルに書いた、初期の私小説です。

1930年、タキも美容師の修業のために上京。二人は東京で再会し、浅草などでデートを重ねました。
多喜二は「落ち着いたら結婚する」と、周囲に語っていたそうです。

1931年7月、多喜二は母(セキ)と弟を小樽から東京へ呼び寄せ、
阿佐ヶ谷(馬橋)の借家で親子三人の同居を始めました。


しかし、翌1932年、特高警察による弾圧が激化。
多喜二は家を出て、高円寺や荻窪などを転々としながら、命がけの地下潜伏生活を余儀なくされます。

1933年2月、多喜二は築地で逮捕され、特高警察による凄惨な拷問を受け、29歳という若さで急逝しました。


遺体が母の待つ阿佐ヶ谷の自宅へ、タキも駆けつけます。

むごく、変わり果てた息子の亡骸を前に、母親のセキが泣き崩れながら叫んだ言葉はあまりにも有名…。


「それ、もう一度立って見せねか、多喜二、みんなのためにもう一度立たねか!」

多喜二の生き様

  
エリート銀行員として、何不自由なく暮らせたはずなのに…
多喜二は「虐げられた人々」の姿をどうしても見ぬふりができなかったんですね。

「自分だけが仕立ての良いスーツを着て、美味しいものを食べている。
でも、そのお金は自分が勤める銀行が、貧しい人々から冷酷に搾り取った小作料ではないか」

自分の成功が誰かの犠牲の上に成り立っているという事実に、彼は激しい葛藤と痛みを覚えたのでしょう。
自らの幸福を拒絶した姿は…一見青い正義感にも見えますが
純粋で気高い「一途な優しさ」だったと感じます。

後輩・伊藤整が囚われた「多喜二の影」

  
多喜二の小樽高商の1年後輩にあたる作家・伊藤整は、多喜二の死から4年後(1937年)
『幽鬼の街』という短編を発表します。

昭和12年、主人公(伊藤)が東京から故郷へ帰省し、雪の小樽(拓殖銀行周辺など)を歩いていると、
拷問死したはずの多喜二の幻影が現れる…という心理小説です。

死してなお強烈な光を放つ多喜二の亡霊を前に
「世間に流されて安全に生きている」という罪悪感と「凡人としての苦悩」に苛まれる主人公。


伊藤が、親友(川崎昇)の下宿先「衣斐(いび)質店」に通い詰めて、
詩集の相談をしていたのは大正12〜15年頃。

この時、多喜二は学校を卒業し「北海道拓殖銀行」の銀行員として働き始めていました。

▽ 藪半の駐車場🅿️裏が「旧衣斐質店」


多喜二は「衣斐質店」近くの「拓銀 小樽支店(現・似鳥美術館)」に勤務しながら
小樽の街の文学青年たちと文芸誌『クラルテ』を作るなど、地元の文学活動の中心に。
 
※『クラルテ(Clarté)』は、フランス語で「光」「明晰さ」という意味。


調べると、2人の関係性は特に親密ではなかったようですが
伊藤にとって多喜二は、常に「遠くから眩しく眺める存在」でした。

多喜二の圧倒的な行動力と情熱に、コンプレックスを抱きながら
伊藤は多喜二の激しい生き様に惹かれ、囚われていたのかもしれません。


小樽の過酷な現実を変えるために、命を燃やした小林多喜二と
小樽の静かな雪景色を美しく繊細な言葉に昇華させた伊藤整。

歩んだ道も思想も違いましたが、同じ小樽の街で青春を過ごし、互いの才能を意識し合った二人でした。




ちなみに、多喜二の恋人のタキさんはその後結婚し、102歳まで長生きされました。(2003年逝去)

あまり多くは語らなかったそうです。
きっと…多喜二の分まで懸命に生き抜いたのではないかと、勝手ながら想像します。




ここまで読んでくださった方!ありがとうございます✨
小樽のレトロな街並みに、ノスタルジーを超えた深みを感じて貰えると嬉しいです(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)

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歴史の街・小樽の「光と影」。前後編に分け、今回は明治・大正に訪れた「光」の時代を辿ります。ニシン漁で巨大な富を築いた大網元たちと、一穫千金を夢見て集まった労働者達のドラマ。▽ 前回、実際に漁夫達が暮らした家を見ました。 この夏「ニシン御殿」を見て回り、たく ...
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歴史の街・小樽の「光と影」。前後編に分け、今回は明治・大正に訪れた「光」の時代を辿ります。ニシン漁で巨大な富を築いた大網元たちと、一穫千金を夢見て集まった労働者達のドラマ。

▽ 前回、実際に漁夫達が暮らした家を見ました。


この夏「ニシン御殿」を見て回り、たくさんの網元達のウハウハぶりを知り…
ふと、最初に小樽へ行った時に見た、小林多喜二のレリーフを思い出しました。

▽ 29歳の若さで、拷問死した小林多喜二(2024.10)


煌びやかに繁栄した時代から、小樽の街が衰退し
労働者運動が起きる程、暗黒時代に突入してしまった流れを今1度おさらいしたい…

AIナビゲーター君に案内してもらいながら、小樽の歴史を振り返る回です。

ヤン衆と親方

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青山家が最盛期に雇っていたヤン衆は100〜数百人規模ですが、
松太郎の元で働く漁夫は、最盛期には2000人。漁期以外でも年中300人を養っていました。

松太郎は文字が読めない代わりに「魚の通り道が直感で視える」という才能があったと言われています。

カリスマ青山親子

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ヤン衆自身の「リアルな声」の記録は少ないです。
彼らが声を合わせて歌った「ソーラン節」が彼らの心の叫びだったでは?と、Gemini。

文字として残せなかった代わりに、北海道の民謡に想いを刻んできたのかもしれません…。
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ヤン衆たちがネダコで、泥臭く共同生活を送る一方
3代目・政恵は、畳が敷かれたお部屋でお姫様のように大切に育てられたといいます。

そして、ついに政恵お嬢さまはヤン衆のいる喧騒を離れ、極上な別邸をプロデュースし、作り上げました。

大網元・富豪度比較

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比較すると、箱館の相馬哲平が桁外れな大富豪だとわかります。

▽ 相馬哲平の寄付で建てられた函館区公会堂

政恵の経営手腕

  
政恵は単なる「贅を尽くしたお嬢様」ではなく、その後は優秀な経営者となりました。

結婚後、政恵はニシン漁の利益で、土地や不動産を積極的に購入していきました。

当時、小樽は「北のウォール街」と呼ばれるほどの経済都市へと発展しており、都市部の不動産ニーズは絶大。
安定した「地代・家賃収入」が、ニシン漁が不漁に陥った際、家計と雇用を支える強力な盾となりました。

不動産投資が、今で言うリスクヘッジになったわけですね。

(つづく)

▽ 30億円の夢の豪邸(小樽貴賓館)


▽ 祝津御三家を合わせても敵わない、別格の大網元・佐藤松太郎


▽ 祝津網元・白鳥家の石蔵と北前舟の金澤邸を移築したお蕎麦屋さん


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ゴールデンカムイのロケ地「北海道開拓の村」移築された旧青山家漁家住宅へ!網元と出稼ぎ漁師の暮らしや格差、巨大なニシン船、そして作中のロケ地を巡ります。札幌市厚別区の「北海道 開拓の村」前回、北海道大学の恵迪寮の話を書いて、力尽きてしまいましたが、見所が沢山 ...
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ゴールデンカムイのロケ地「北海道開拓の村」移築された旧青山家漁家住宅へ!網元と出稼ぎ漁師の暮らしや格差、巨大なニシン船、そして作中のロケ地を巡ります。



札幌市厚別区の「北海道 開拓の村」

前回、北海道大学の恵迪寮の話を書いて、力尽きてしまいましたが、見所が沢山です!


▽ 青春…恵迪寮(2026.6)


開拓の村は、大きく《市街地群、農村群、山村群、漁村群》と4つのエリアに分かれています。


村内のメインストリート《市街地群》では「馬車鉄道」が運行されています。(4月中旬〜11月)

明治・大正時代の雰囲気。

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今回は《漁村群》に残る「網元の家」を振り返りました。

この夏、小樽、厚田…と、いかにニシン漁が盛んだったかを見てきたので、良い機会です。

大規模!「旧青山家 漁家住宅」

  
いやー、広い広い!

歩き進めると、奥に立派な「ニシンの家」が見えてきます。

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明治から大正にかけて、小樽のニシン漁で巨万の富を築いた大網元・青山家の建物です。

↓「小樽 貴賓館(旧青山別邸)」の青山家です。


いわゆる「番屋(漁場建築)」です。

母屋、文庫倉、石倉、板倉など計7棟がまとまって、こちらに移築されました。

もともとは小樽市祝津にあり、母屋、ヤン衆(出稼ぎ漁師)の居住スペース、
見張台などが一体となった大規模な漁家住宅でした。

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2つの玄関「網元とヤン衆」

  
明治時代からあった古い母屋は火事で焼けてしまい
1919年(大正8年)に2代目・青山政吉が母屋を再建した際、玄関を2つに分けました。

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右側の玄関…親方・家族用。立派なひさしが付いたデザイン。
左側の玄関…ヤン衆用。むくりのある、やや簡素な造り。

左から入ると、漁師たちが寝泊まりする、吹き抜けの大部屋と土間へ直結しています。

初代・青山留吉や2代目・政吉、青山家の一族も実際にここで暮らしていたのかしら…?

ヤン衆たちの居住スペース

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囲炉裏のある板張りの空間は、通称「ネダコ(寝床)」

『ゴールデンカムイ』の撮影にも使われた大広間です。

ニシン漁のシーズンになると、全国から集まったヤン衆たちがここで寝食を共にしました。

2階ロフトも合わせ、一人あたり畳1枚分のスペースに布団を敷いて、60人が雑魚寝〜!


春先の北海道の海はまだ、凍てつく寒さ…囲炉裏で濡れた作業着や草鞋を乾かしていたそうです。

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親方の帳場と畳間

網元やその家族が商売を仕切っていた場所です。

手前に敷かれているのは獣皮。(財力と権力を象徴)

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網元や番頭は、格子に囲まれた「帳場」で、台帳やお金の管理、漁の指揮を行っていました。 

「釜焚き作業」

  
当時のニシン漁は、食べる為ではなく「油」と「肥料」を製造していました。

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大きな釜に水を張り、薪を燃やして、獲れた大量のニシンを茹で
専用の道具で絞って「ニシン油」と「ニシン粕(かす=肥料)」に分けました。

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この「山」の中に「十」が入ったマークは、網元・青山家の屋号。読み方は「ヤマジュウ」

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初代・青山留吉の名前が記された木箱が、ずらっと蔵に収納されていました。

「黒膳椀」や「八角皿」は「ハレの日の祝宴」や「来客」用食器だそうです。

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大網元はニシン漁のシーズンの開始時や、大漁の際、地元の有力者などを招いて、大宴会を開きました。

そのため、こうした「もてなし用食器」が、いつでも使えるように大切に保管されていたんですね。

お米やお酒もいっぱい!

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「廊下」(船倉・漁具倉庫)

漁期が終わったあとに船や櫓(ろ)などの大型漁具を格納していた、青山家専用の倉庫。

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巨大な「ニシン船」

  
中には長さが約13メートル、幅が3メートル以上という巨大な2隻の船が!

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こちらは明治44年建造。

「枠船(わくぶね)」というニシン漁の主力船です。

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はい!他の番屋も見ていきましょう!

「旧秋山家漁家住宅」

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青山家のすぐ近く明治・大正期に活躍した網元・秋山嘉七(かひち)の家です。

秋田県から北海道の羽幌(はぼろ)町へ移住し、3代にわたって漁業を営んでいました。

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大正9年(1920年)に建てられた、この木造の漁師家(番屋)に
昭和53年(1978年)つまり…48年前まで、実際に家族がそのまま暮らしていたそうです。

秋山家がこの家を離れたあと、建物が「北海道開拓の村」へ移築・復元されました。

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何百人もヤン衆を雇う超巨大な「大網元」だった青山家に対し、
秋山家は家族や数人の雇い手で漁を行う「中小規模の漁家」でした。

とはいえ、建物は立派で、当時としては裕福な暮らしぶりを今に伝えています。

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『ゴールデンカムイ』聖地巡礼

  
北誠館(ほくせいかん)

《農村群エリア》に移築されている「旧田村家・北誠館・蚕種製造所」です。

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『ゴールデンカムイ』で、土方歳三が拉致・監禁された
「阿寒湖周辺の養蚕農家」のモデルとして使われ
ました。

作中にも登場した、蚕のオスメスを見分ける「種繭雌雄鑑別器(しゅけん しゆう かんべつき)」です。

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山本理髪店

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巡査派出所

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旧浦河支庁庁舎

家永カノが経営する「札幌世界ホテル」の外観に使われました。

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『ゴールデンカムイ』は本物の歴史的建造物を使い、贅沢な空間で撮影した作品なんですね〜。

“不死身の杉本” 山﨑賢人さんが引きずられたソリ!

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他にも、撮影に使われた建物は沢山ありますが、それはまた気が向いたら…という事で!

長々、お付き合い下さりありがとうございました。

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函館観光「旧函館区公会堂」の次は「旧イギリス領事館」へ。親しみやすい人柄から「豆コンシロ」と愛されたユースデン領事の等身大フィギュアがお出迎え!函館の人々と夫妻の温かい交流のお話です。旧函館区公会堂で「2館共通入館券 500円」を購入したので、2館目は近くのこ ...
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函館観光「旧函館区公会堂」の次は「旧イギリス領事館」へ。親しみやすい人柄から「豆コンシロ」と愛されたユースデン領事の等身大フィギュアがお出迎え!函館の人々と夫妻の温かい交流のお話です。


旧函館区公会堂で「2館共通入館券 500円」を購入したので、2館目は近くのこちらへ!

旧イギリス領事館

  
英国の雰囲気が漂う薔薇の庭園や、本格的な紅茶を楽しめるティールームが人気だそうです。

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コロニアルスタイル(※ 英米の開拓期に広まった洋風建築)の可愛らしいサイズのお館です。

白い壁に落ち着いたブルーの窓枠に、屋根をよく見ると…赤茶色の「和瓦」が!

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洋風の佇まいに和の情緒、函館らしい和洋折衷の雰囲気です。

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6月〜7月はヴィクトリアン調の庭園に、様々な種類のバラが咲き誇るそうですが…
お庭が拝見出来ることに気付きませんでした。

順路通りに回りましたが、どのタイミングでお庭に出れたのか分からず…?(* ᐕ)?

木製の黒い階段 、踊り場のヘリンボーンの床がアンティークで素敵ෆ˚*

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イギリスというと、アフタヌーンティーですね☕️🌹

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ティールームでアフタヌーンティーをいただきたいところですが…次の予定があり断念。

愛され領事「豆コンシロ」

  
旧領事執務室で目に入るのが、この
望遠鏡で港をながめる、とっても小さな背中…

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リチャード・ユースデン領事の等身大(?)フィギュアです。

小柄で気さくな人柄から「豆コンシロ(豆領事)」と呼ばれ、街の人々から親しまれたそうです。


ヴィクトリア女王の絵画🖼

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イギリス領事館の門章

  
イギリス王室の紋章「ロイヤル・コート・オブ・アームズ」

日本でいう「菊花紋章(※皇室の十六八重表菊)」にあたる、公式の紋章ですね。

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カッコイイ〜。中央の盾を囲むように、動物たちが配置されています。

両サイドの盾を支える動物(サポーター)
左側:王冠を被ったライオン🦁(イングランドの象徴)
右側:鎖で繋がれたユニコーン🦄໒꒱· ゚(スコットランドの象徴)

⚜️上の小さな兜飾り(クレスト):王冠を被ったライオン(ゴールデン・ライオン)

一番下のリボンに刻まれた文字は、フランス語で
“DIEU ET MON DROIT(神と我が権利)” 
※ 12世紀のリチャード1世(獅子心王)が戦場で叫んだ名言だとか。|・ω・`)フムフム

貸会議室

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函館開港ミュージアム

   
⚓️ 日本で初の国際貿易港として函館が開港(1859年)するまでの歴史や文化が
タペストリーなどで展示されています。

ペリー来航時の装いや、当時の人々が見よう見まねで洋服を着こなす姿が
イラストで楽しく紹介されていました。

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ユースデン領事夫人が函館の女性たちに、西洋式の洗濯や洋裁を教えるなど
地域と温かく交流していた様子も、ミニチュアで再現されていて、ほっこり♪

アメリカの提督マシュー・ペリーのボード。
ペリーは函館の港を美しく、ジブラルタルに似ていると高く評価したそうです。

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ユースデン夫妻は幕末から明治に掛けて、13年間函館に滞在し、
夫妻の帰国が決まると、市民たちは大規模な「お別れ会(送別会)」を開きました。

一般市民が大勢集まって、涙ながらに外国人の要人を送り出すことはかなり異例だったそうです。

ユースデン夫妻が、函館の街にいかに愛されていたかが分かるエピソードですね。


写真スポット👑

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街づくりへの貢献

 
さて、ユースデン領事の功績に「函館公園」の建設があります。

領事は「病人に病院が必要なのと同様に、健康な人にも養生所が必要」と『公園』の必要性を説きました。

その
呼びかけに応え「函館四天王」と呼ばれる明治初期のリーダー
(渡辺熊四郎・平田文右衛門・今井市右衛門・平塚時蔵)が資金をバックアップ。
市民の手で作る公園を明治12年に完成させました。

その後、明治15年にはこの4人は全員揃って「藍綬褒章」を受章したそうです🎗


館内案内の裏面に、ユニオンジャックとローズのお洒落スタンプをポンッ!

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前回書いた豪商・相馬哲平の「旧相馬家住宅」と「旧イギリス領事館」は目と鼻の先ですが…

ユースデン領事がイギリスに帰国したのは明治13年、相馬がこの場所に住宅を建てたのは明治25年。
なので、残念ながら(?)『ご近所付き合い』はなかったわけですね。

ただ、ユースデン領事がいた明治初期、相馬はすでに函館のセレブ。
交流があったかは分かりませんが、どこかですれ違ったり顔見知りだった可能性はあります。

偏屈(?)と思われていた相馬と、市民に慕われた「豆領事」ことユースデン領事が
もし街で顔を合わせたら…どんな会話をしていたんだろう?と、妄想しちゃいました(笑)

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大規模改修を経てリニューアルした「旧函館区公会堂」へ!豪華絢爛な館内と歴史、建設を支えた北海道一の大富豪・相馬哲平の人物像に迫ります。函館・元町の散策記です。▽ 改修工事中だった「旧函館区公会堂」(2019.GW)旧函館区公会堂  🎫 2館共通入館券 500円約2年半に ...
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イラスト 20260912

大規模改修を経てリニューアルした「旧函館区公会堂」へ!豪華絢爛な館内と歴史、建設を支えた北海道一の大富豪・相馬哲平の人物像に迫ります。函館・元町の散策記です。

▽ 改修工事中だった「旧函館区公会堂」(2019.GW)

旧函館区公会堂

  
🎫 2館共通入館券 500円

約2年半におよぶ大規模な保存修理工事を経て(工事期間: 2018年-2021年)
2021年4月にリニューアルオープンしました。

やっと見れました〜〜(人´∀`)

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この黄色とブルーの鮮やかな旧函館区公会堂!

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まるでヨーロッパの宮殿や貴族の館のような豪華絢爛さです。

階段にはレッドカーペットを留める金具が付いています。

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バルコニーに面した大広間(130坪)は超広々!

明治・大正時代、社交界の面々が煌びやかに舞踏会を開いていた様子が目に浮かぶようです。

イラスト 20260912

ピアノ

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バルコニーから一望できる函館港。曇り☁️

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当時のハイカラな人々は…踊り明かしては、このバルコニーに出て夜景を見下ろしたのでしょうかね✨

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アンティークなカーテンと木枠の窓
 
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窓枠が黄色

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焼失から生まれた迎賓館

  
折角なので、旧函館区公会堂の歴史を少し見てみましょう。

1907年(明治40年)の函館大火で、住民たちの「町会所」が焼失してしまいました。

新たな集会場を建てる際、建設協議会はただの市民館ではなく
「外国の要人や国賓をお迎えする最高級ホテル」も兼ねた複合施設を計画したそうです。

当初は資金が集まらず難航…。

そこへ現れたのが、函館の豪商・相馬哲平(そうまてっぺい)でした。

商業会議所事務室

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御座所

紫色のモダンなソファ。

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豪華なマントルピース

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飾り棚(マントルシェルフ)の上に「大きな鏡」が置いてありますね。

こちらも鏡がずらっ。

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電気が貴重だった時代。棚の上に、蝋燭やオイルランプをたくさん置くと、その光が後ろの鏡に反射して
部屋全体を照らす設計になっていたようです。オシャ。

旧函館区公会堂

危機を救った豪商の寄付

 
話は戻って…

相馬哲平は現在の十数億円規模にあたる
「5万円(総工費の約8割)」という巨額をポンと寄付したのです。

この大奮発により超豪華仕様が実現!

(※ 総工費は5.8万円。ちなみに小樽「旧青山別邸」の建築費が31万円。
当時の「伊勢丹新宿本店」の建設費が50万円と言われた時代なので、青山別邸の破格さが際立ちます…)

皇太子時代の大正天皇が北海道を訪問された際には、実際にこの公会堂がご宿泊所として選ばれました。

そんな最高格式の「迎賓館」としての歴史もある公会堂です。

「大食堂」

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アンティークなシャンデリア

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米屋から北海道一の富豪へ

 
この、相馬哲平とは何者でしょうか?

先日、厚田のニシン漁の大網元・佐藤松太郎のお話を書きましたが、
相馬は、松太郎をはるかに上回る大資産家でした。上には上がいるものですね…(⊙ω⊙)

新潟から単身箱館へ渡った相馬は箱館戦争時はお米屋さんでした。
その時に全財産で米を買い占め、それが大金となり、その後海運業へ。

総合商社のような仕組みを作り、更に資産を増やし、最後は銀行の頭取になりました。

北海道の経済や土地を牛耳る最大の大地主になった、叩き上げの人物です。

当時の北海道の長者番付(資産家番付・漁業家番付)の記録があります。

♛ 佐藤松太郎( 1863年 〜 1918年没):
「漁業家番付」横綱 /「資産家番付」関脇

♛ 相馬哲平( 1833年 〜 1921年没):
「資産家番付」東の正横綱

ふたりが全盛期を誇ったのは、明治から大正という同時期。
北海道が一獲千金のチャンスに溢れていた華やかなゴールドラッシュの時代です。

国指定重要文化財「旧相馬家住宅」

 
旧函館区公会堂から、基坂を少し下った、元町公園のすぐ隣に「旧相馬家住宅」があります。

公会堂を見上げる位置に私邸を構えたんですね〜。

相馬邸

公会堂の洋風の見た目とは対照的な、ドシッと和風なお屋敷です。

黒い板塀と松の木が印象的な重厚な日本家屋ですが、中には「洋間(応接室)」もあるそう。
(時間がなく寄れませんでした…!)

奥の淡いグリーンの洋風の建物は相馬の私設図書館(相馬記念館)の跡地。

和と洋がミックスした函館らしい景色でした。

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そんなウルトラ大富豪・相馬哲平ですが、普段はツギハギだらけの服にボロボロの帽子で
生活は質素だったとか…。

いつも不機嫌そうで無愛想、挨拶もしないため、
周囲からは「冷酷な守銭奴」などと陰口を叩かれたそうです。

けれど、函館のためとなら、十数億円規模をあっさりと寄付してしまう。
「自分のために使う金は1銭でも無駄だが、社会のためなら惜しまない」
…そんな哲学と美学を持った人物だったのですね。

少し下の私邸から、どんな気持ちで自身が建てた公会堂を見上げていたのか。
きっと満たされた気持ちだったんじゃないかなぁ、と想像しました。

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札幌から車を走らせ石狩へ!高台の「道の駅あいろーど厚田」と「恋人の聖地」からの景色、地域を支えた歴史、そして神秘的な巨木「千本ナラ」まで🌳 厚田・浜益エリアの散策記です。札幌から留萌へ続く国道231号(オロロンライン)沿いの道の駅 「あいろーど厚田」へ!道の駅 ...
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札幌から車を走らせ石狩へ!高台の「道の駅あいろーど厚田」と「恋人の聖地」からの景色、地域を支えた歴史、そして神秘的な巨木「千本ナラ」まで🌳 厚田・浜益エリアの散策記です。


札幌から留萌へ続く国道231号(オロロンライン)沿いの道の駅 「あいろーど厚田」へ!

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道の駅 あいろーど厚田


  
石狩市厚田にある“夕日の絶景”で知られる道の駅です。

札幌中心部から車で約1時間〜1時間15分程度、ドライブにちょうどな距離感。


右奥に、テラス付きの建物が見えますね。

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オープンは 2018年、新しくモダンなデザインです。

駐車場も広々!

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広い公園の敷地一帯の名称は「あいろーどパーク」

大型トランポリンの上で、子供たちが楽しそうに跳ねて遊んでいました。

もともと、ここは「厚田公園」という公園で
「石狩市厚田資料室」(地域の歴史を紹介する施設)が建っていたそうです。


優雅に青空を飛ぶ鳥。

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石狩市厚田区エリア初の道の駅として「あいろーど厚田」が誕生しました。

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恋人の聖地(厚田展望台)

  
なになに?標識に「恋人の聖地」の文字。

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母の口癖「せっかくだから!」

母の言い方、そのままを真似してMが言い、登ってみることに♩

急勾配な、長い階段がぐるぐると続き…途中、喘息の発作を起こしかけながらも、なんとか到着(笑)

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2006年、北海道で初めて「恋人の聖地」に認定された展望台だそうです。

道の駅建設前から「厚田公園」敷地内にありました。

左側にあるのは、たくさんの誓いの鍵(南京錠)🔒が取り付けられたフェンス。

せっかくだから(笑)鐘を鳴らしてみる。:🔔:

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外国みたいです。

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ステンドグラス

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方位レリーフ

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手稲山や積丹半島まで見える日もあるそうです。

日本海に沈む夕日は、さぞ美しいことでしょう。

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道の駅の館内は大賑わいで、すっかり写真を撮り損ねてしまいました…。

展望台に登り、少し熱中症気味になり朦朧としていたのもあります。

道の駅の2階に併設された「歴史・自然資料室」でしばし休憩。


「厚田資料室」跡地に、そのまま引き継がれたわけですね。

厚田にゆかりのある作家や画家の作品の展示や
第43代横綱・吉葉山 潤之輔(よしばやま じゅんのすけ)のパネル、ニシン漁のジオラマ、

網元で、実業家としても活躍した厚田出身の佐藤松太郎(まつたろう)のコーナーなどがありました。

伝説の大網元・佐藤松太郎

  
明治・大正期にニシン漁で、日本トップクラスの巨万の富を築いた伝説的な大網元、大実業家です。

展示された写真を見ると、恰幅がよく、ニシン漁黄金期を支配した大網元の風格が伝わってきます。

身長は小さかったそうで、ふっくらした体型と、面倒見が良く気前の良い性格から、
地元では「ヤママルの布袋(ほてい)さん」と慕われました。


驚くべきことに、松太郎はほとんど文字が読めなかったのだとか!

それでも、海の天気や漁具を人一倍熱心に研究し、超人的な直感と抜群の記憶力で
鮭の漁場を大当てさせたのを皮切りに、大網元へと一気にのぼり詰めました。

前回の小樽旅で紹介した、祝津の「青山家」や、藪半(お蕎麦屋さん)で登場した「白鳥家」も
屈指の大網元、大富豪でしたが、松太郎の資産規模はまさに「桁違い」

当時の「漁業家長者番付」において、松太郎は不動の「横綱(最高位)」に君臨しました。

かつて小樽運河沿いに並ぶ倉庫群の半分以上が、松太郎の所有だったという逸話が残るほどです。


ニシンの不漁をいち早く予見した松太郎は、漁師たちを解雇するのではなく
「みんなの仕事を守らなければ」と、自ら船団を率いて遠洋へ、新たな漁場開拓へと挑みました。

さらに、厚田に電気を引く費用を負担したり、学校建設に巨額の寄付を行うなど、地域の発展にも大きく貢献。

仲間の生活と街の未来を背負い続けた「男気あふれる親方」だったんですね〜(( ˘ω ˘ *))

中華まんじゅう?

   
さて、道の駅のお楽しみといったら、地場産品のお買い物です。

地場産品販売店は1階にあり、厚田産干ししいたけやニンニク、
「中華まんじゅう」という名の、大きなどら焼きなどを買いました。

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どら焼きは粒あん、中華まんじゅうはこしあんだそうです。

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ニシンを使ったバッテラが大人気のようです。

日差しも強く、ジェラード屋さんは行列でした。

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展望バルコニーからの眺め

  
パノラマで日本海が見渡せます。

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道の駅の目の前の↑囲いが気になり、道路を渡ってみました。


「厚田海浜プール」という海水浴場(人工ビーチ)だそうです。

浅瀬に防波ブロックが囲ってあって、安全にお子さんが海遊び出来るスポットになっています。

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さらに、20kmほど厚田から浜益の方へ海沿いをドライブ、足をのばしました。

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Mいわく「パワースポット」があるとか。

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ウシアブ(蜂に似た黄色い弾丸のような形の虫)が、車の周りに集まってきて
外に出ることは叶いませんでした( ´ㅁ` ;)こわっ!

車の中から、どれどれ…??

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あった!あった!見えました。

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千本ナラ

  
樹齢800年を超えると言われるミズナラの巨木です。

平成2年に新・日本名木100選にも選ばれました。

幹から太い枝が何本も、空へ向かって力強く伸びている姿から「千本ナラ」と呼ばれています。

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枝を何本もの支柱でしっかりと大切に支えています。

Mは「触れたかったのに〜」と悔しそう。

近くまで行けなかったのは残念ですが、外に出なかった事は大正解でした💮

観光される際はお気をつけください。

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小樽の歴史を感じる木造の建物で、絶品お蕎麦と酒の肴が楽しめるという、老舗の名店へ。歴史的建造物の再生の物語と、粋な空間で頂くお蕎麦。そして、小樽と言ったら、やはりニシン───小樽全体が明治・大正時代の歴史を色濃く残す街ですが、こちらのお蕎麦屋さんもまさに ...
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小樽の歴史を感じる木造の建物で、絶品お蕎麦と酒の肴が楽しめるという、老舗の名店へ。歴史的建造物の再生の物語と、粋な空間で頂くお蕎麦。そして、小樽と言ったら、やはりニシン───


小樽全体が明治・大正時代の歴史を色濃く残す街ですが、こちらのお蕎麦屋さんもまさにそんな歴史を今に伝える空間となっています。

小樽蕎麦屋 藪半(やぶはん)さん


すごいクチコミ数!

歴史ある石蔵や回船問屋の邸宅を移築・融合させ、お蕎麦屋さんとして蘇らせたそうです。

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籔半の店舗向かいの専用駐車場に車をとめます。

奥の建物は「旧衣斐(いび)質店」

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ツタに覆われた風情ある石蔵(裏蔵)。この後ろに木造の主屋(店舗兼住宅)があります。

こちらは小樽育ちの文学者・伊藤整(せい)ゆかりの地。

衣斐質店に下宿していた親友・川崎昇との会話から、
イベント「小樽雪あかりの路」の由来となった初の詩集名が生まれたそうです。

奇跡の和風空間

純和風な風情あふれる入口です。

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お店の奥にどっしりした蔵が見えます。

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囲炉裏に板の間の客席、お客さんで満席で写真は撮れませんでした(´`;)


実はこちらは、3つの歴史的建物が融合した建築なのだとか!

① ニシン漁・祝津「御三家(三大網元)」の一角
「白鳥家」の重厚な石蔵

② 豪商「金澤友次郎邸(伍楽園)」の木材
座敷1904年(明治37年)に建てられた、北前船の豪商・金澤友次郎の邸宅の内部部材を移築。

「囲炉裏席」がある板の間には、厚さ10センチの縁側の杉板。

③ 古い「割烹料亭(日乃出)」の佇まい
もともと先代が保存・再生して使っていた古い料理店の風情ある意匠(デザイン)。


蔵の中も客席です。

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💡 なぜこんな造りになったの?

奇跡の再建ストーリー

「小樽蕎麦屋 籔半」は1954年(昭和29年)、小樽駅前で開店。

元々は、ニシン漁・網元「白鳥家」の建物を活用し営業していましたが、火事で焼失してしまいました。

幸いなことに「石蔵」だけは奇跡的に残ります。

ちょうどその頃、街の再開発で解体の危機にあった「伍楽園(旧金澤友次郎邸)」。

その価値を惜しんだ二代目店主が部材を引き取り、残された石蔵へ巧みに組み込み
1986年(昭和61年)、現在の姿へと生まれ変わらせました。

※ 「伍楽園」という名は、金澤邸(北前船の豪商の別邸)がのちに囲碁や麻雀などを楽しむ社交場として使われていたから。

なるほど…大富豪邸のハイブリッドなんですね〜。


今も、あちらこちらに小樽の歴史的建造物が変わらぬ姿を留めているのは
こうした建築美を「なんとか後世に残したい!」と敬意を持ち、手間と費用をかけて
維持し続けている人々がいるからこそだな、と感じます。

お品書きと名物「にしん蕎麦」

 
冊子風のお品書きの表紙には、夏目漱石の『吾輩は猫である』から
蕎麦の食べ方を描いた一節の引用が。

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「蕎麦前(お酒と肴)」メニューが充実しています。

鰊の本場である小樽産ニシン。
愛おしいくらい柔らかなホロリと崩れるほどの鰊棒に煮でございます…


お品書きの文面も愛嬌があります(笑)

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にしん棒煮 850円

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柔らかく煮込まれた「にしんの棒煮」が丸ごと1匹。

お蕎麦は2種類から選べます。

* 地物粉麺(じものこめん): 北海道産の蕎麦粉を100%使用
* 並粉麺(なみこめん)

天とじ 地物粉(道内産)1450円

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面白い畳み方の箸置き

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箸置きの紙をひらくと、お店からのメッセージが。

お店が面する通りは、榎本武揚や石川啄木などの偉人たちが闊歩した「静屋(しずや)通り」
回船問屋の邸宅を部分保存した木造建築の落ち着きの中で「お蕎麦」を召し上がってください。


美味しそ〜(*´﹃`*)

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途中で味変。
鰊棒煮を乗せて、一味を振りかけて「にしん蕎麦」に♪

小樽の貿易、ニシン漁の栄華、そして職人たちの美意識。
街が紡いできた歴史を感じながらいただくニシンのお蕎麦は格別です。

ごちそうさまでした。


▽ 榎本武揚とルタオと蟹工船(2024.10)


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小樽の歴史的名所・小樽貴賓館(旧青山別邸)へ。季節限定のあじさいフロートを頂きつつ、立派な庭園を一望。職人の技が息づく館内の魅力と青山家の歴史を紐解きます。小樽貴賓館と青山家の歴史小樽貴賓館(おたるきひんかん)を訪れました。『ゴールデンカムイ』の舞台のモ ...
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小樽の歴史的名所・小樽貴賓館(旧青山別邸)へ。季節限定のあじさいフロートを頂きつつ、立派な庭園を一望。職人の技が息づく館内の魅力と青山家の歴史を紐解きます。

小樽貴賓館と青山家の歴史


小樽貴賓館(おたるきひんかん)を訪れました。

『ゴールデンカムイ』の舞台のモデルにもなっています。

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広い敷地のお屋敷です。

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小樽貴賓館(旧青山別邸)は、明治から大正期にかけてニシン漁で巨万の富を築き
ニシン大名と呼ばれた青山家の別荘です。

当時の最高級資材、一流の職人技術で建てられたこの木造建築は、
国の登録有形文化財にも指定されています。

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青山家はもともと山形県遊佐町の出身でした。

初代・青山 留吉(とめきち)が北海道(小樽・祝津)へ渡り、ニシン漁の礎を築き
2代目・政吉が事業を広げ、青山家の全盛期を作り上げました。

そうして、故郷の遊佐町に建てたのが、現在国の重要文化財になっている「旧青山本邸」です。

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別邸は 3代目・政恵(政吉の娘)が17歳の時に「本間邸のような豪邸を小樽に建てたい!」と提案し
大正時代に、6年半の歳月と巨額の費用をかけて建てられた別荘です。

当時、日本一の大地主として全国にその名を轟かせていたのが、酒田(山形)の「本間家」でした。

本間邸の圧倒的な建築美と風雅さに強い感銘を受けた政恵は
父・政吉の資金力をバックに「旧青山別邸」を作り上げました。

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現在の価格に換算すると、総工費は30億円とも言われています。ふぉぉ…

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「開運の釜」


「福と繁栄をもたらした開運の釜」として、庭の一角に祀られています。

当時、大量に獲れたニシンを茹で上げるために使われていたのがこの鰊釜(にしんがま)

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ちなみに、ニシン漁が圧倒的に盛んだった理由は「肥料(高級な肥料)」としての爆発的な需要でした。

大量のニシンは、油を搾ったあと乾燥させ「締めかす(鰊粕)」にされました。

「捨てるところがない」と言われるほど、ニシンは油もカスもすべてが金のなる木だったのです。


大きな釜で釣りをする恵比寿様

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右も左も正面も、古く立派な建築に圧倒されます。

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鬼瓦と懸魚

旧青山別邸の飾り瓦(鬼瓦)は七福神がモチーフになっています。

頭に頭巾、右手に打ち出の小槌、米俵に乗った大黒様

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こちらは、鯛を持った恵比寿様

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「福をもたらす二大福神」としてセットで祀られることが多い大黒様と恵比寿様

客用玄関(大玄関):「大黒様」
家族用玄関(脇玄関):「恵比寿様」

訪れる客には豊かな財と福を(大黒)、家には大漁と繁栄を(恵比寿)という
粋なこだわりと縁起かつぎの意図が込められています。


屋根の三角の部分には仙人?が描かれています。

「懸魚(げぎょ)」と呼ばれるパーツです。

「魚を懸ける(吊るす)」と書き、木造建築を火から守るため「水に縁のある魚」を模した飾りを屋根に掲げたのが始まりだそう。


鬼瓦ギャラリー

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鬼瓦(おにがわら)

中国から伝わった当時は蓮の花などの模様でしたが、日本で災いを払う力強い「鬼」の形に変化しました。必ずしも鬼の顔をしているわけではありません。

場所:屋根の一番高い場所や棟の端っこの瓦。
目的:「魔除け」「雨漏り防止」

懸魚(げぎょ)

場所:屋根の三角になっている部分(破風板の下)に吊り下げられている木製の飾り。
目的:「火除け(祈願)」

鬼瓦は「屋根の上の魔除け」
懸魚は「屋根の下(破風)の火除けの魚」と覚えておくと分かりやすいですね♪

喫茶でひと休み

「小樽貴賓館」の施設内は、お食事処やお土産店があるエリア(本館)と
有料で見学できる「旧青山別邸」エリアに分かれています。

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コミック「花より男子」の舞台にもなっているそうです。

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落ち着いた、シックな雰囲気の喫茶室です。

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コーヒーフロート 850円

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青のあじさいクリームソーダ 800円

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シュワシュワ。゚○°。○( ・ω・ )◯。°○゚。‬

窓から広々としてお庭が見渡せます。

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大広間の大天井、大迫力の百花繚乱の天井絵!

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職人の技と贅が詰まったお屋敷というのが、この大天井からヒシヒシと伝わってきます。


いよいよ入館…(まだ入ってなかった)

小樽貴賓館 入場料: 1300円

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館内は撮影禁止🚫ですが、庭園は撮影OK。

 龍神のアカマツ

格式高い枯山水庭園に、樹齢100年を超える赤松。

天から地に舞い降りる「降り龍(地上の守り神)」のような枝ぶりです。

The パワースポット♡

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2階から。

分かりますかね?松の下の幹がグッと右にうねっています。

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窓からは日本海が見えます。

こうして、政恵さんも眺めていたのでしょうね。

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旧青山別邸のみどころ

酒田の本間邸に魅せられた17歳の政恵の情熱によって建てられた小樽の別邸。

政恵は全国から一流の職人や画家を呼び寄せて、
木材の選定からデザインに至るまで、自ら陣頭指揮を執りました。

跡取り愛娘の熱意を全面的に買い、建築の全権と資金を委ねた溺愛パパ、当主・政吉(当時46歳)

政恵のセンスと美意識、職人のこだわりが、館内の至る所に宿った美術建築となりました。


(写真撮影NGだったため、文章のみですみません)

❉ 職人技が光る「建築細工・調度品」

一本の木から裏表異なるデザインを彫り出した欄間や、入手困難な高級木材を使用した柱や天井。

釘を使わない組子技術や、鏡のように艷めく漆塗りなど、職人の手仕事!

❉ 一流の競演「襖絵・壁画・天井画」

当時の一流絵師や書家が邸宅に滞在し、部屋ごとに異なる趣で描き上げた作品群!!


ニシン漁の歴史や華やかな文化交流、そして美しい庭園に至るまで
青山家の贅とプライドが惜しみなく体現されています。


究極の推し部屋?

政恵さんの芸術への造詣の深さを感じつつ、私は少しうがった見方をしてしまいました。

当時の有名絵師や書家は、現代の大人気アイドルや、超大物アーティストみたいな存在だったろうと。

推しのアーティストたちを自宅に招き、何ヶ月も滞在させ、お金に糸目を付けず
自分の目の前で作品(襖絵や天井画)を描かせたわけですから……

お嬢様の究極の「推し活」であり、豪華絢爛な襖絵や彫刻が並ぶ空間は
少女の夢の詰まった、最強の「推しグッズコレクション部屋」 だったのかも…と。

政吉パパにとっても、青山家の権威を示すという意味で、目的は合致していたのでしょう。


大正12年(1923年)、6年半の歳月をかけ、 政恵23歳のときに建物は完成しました。

…100年以上経った今「素晴らしい文化財」として鑑賞するのも良いですが、ふと現代に置き換えて
「政恵お嬢様の贅沢な推し活だったのでは?」と考えると、また違った面白さが見えました。

ニシン漁の栄華と衰退

▽ 「開拓の村」でもニシン漁が盛んだった様子が伝わりました(2026.6)


各地の網元たちは、それぞれに続々とニシン御殿を建てたそうです。 

ニシン漁の衰退とともに維持が困難になった別邸は、その価値に惚れ込んだ佐藤美智夫氏が買い取り
1989年(平成元年)に「小樽貴賓館」としてオープン。歴史を引き継ぎ、こうして大切に維持・公開しています。

ニシン漁衰退の原因は「乱獲」

資源保護の概念がなかった当時、ニシンは無限の資源のように思われていたそうです。


ニシン漁の繁栄と衰退のストーリーを知ると「昔のお金持ちの豪邸」というだけでなく
時代の栄華の波と、淡い儚さも感じました。

長々お付き合い頂きありがとうございます。

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定山渓からの帰り道、さっぽろ湖やダムを巡り小樽へ!明治の面影を残す街並みと風鈴の涼やかな音色。ノスタルジックで穏やかな小樽散策の記録です。▽ 定山渓でのんびり 定山渓からの帰り道、行きとは違うルートを巡ることに。さっぽろ湖の絶景ドライブさっぽろ湖に来ました ...
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定山渓からの帰り道、さっぽろ湖やダムを巡り小樽へ!明治の面影を残す街並みと風鈴の涼やかな音色。ノスタルジックで穏やかな小樽散策の記録です。

▽ 定山渓でのんびり


定山渓からの帰り道、行きとは違うルートを巡ることに。

さっぽろ湖の絶景ドライブ


さっぽろ湖
に来ました!

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札幌市南区、定山渓温泉のすぐ近く、定山渓ダムによってつくられた人造湖です。

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四季折々の自然が見渡せ、展望台が4ヶ所(第1〜第4)も整備されています。

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きらきらと輝く湖面と、山々の雄大なスケール感!

これが人工湖だなんて…

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定山渓レイクラインを超えて、小樽方面に向かうと
「朝里(あさり)ダム」があります。

湖の名前はオタルナイ湖、ダムの下には大きなループ橋(朝里大橋)

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巨大なダム湖が2つも連続していて、ドライブコースとして大人気スポットなのも納得です♩

小樽の街へ

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そんなこんなで、いつもと違うルートで小樽を散策することになりました。

* 小樽運河(川沿い・倉庫群)=「見る・写真を撮る」メイン

* 堺町本通り=「食べる・買い物する」メイン

小樽運河で記念撮影をしたあと、堺町商店街へ移動して散策する流れが「観光の王道ルート」だそう。

▽ 冬の小樽運河ルート(2026.02)


明治から昭和初期にかけて、北海道開拓の「海の玄関口」だった小樽。 

当時の石造り倉庫や美しい洋風建築が大切に保存され、クラシカルな街並みが残っています。

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小樽大正硝子館 本店

もとは、明治後期の「旧名取高三郎商店(金物屋さん)」の店舗だそうです。

観光ガイドなどで「堺町通りの入口」と紹介される目印的なお店です。

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境橋を境に、通りの名前が「色内(いろない)大通り」から「堺町本通り」へと変わります。

「色内大通り」はかつて「北のウォール街」と呼ばれ、旧日本銀行など歴史的な建築が並ぶエリア。

一方「小樽堺町通り商店街」は、お土産屋さんやオルゴール店があり、レトロで賑やかな雰囲気です。

小樽軟石のうだつの壁

大正硝子館の脇を流れる川に沿って、小樽運河方向に歩いていくと…大きな石造りの壁が!

これは「うだつ」と呼ばれる防火壁です。

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💡「うだつが上がらない」の「うだつ」です。建てるにはお金がかかったため、出世しない様子をそう言うようになったとか。

当時の小樽は木造建築が多く、火災時、隣家からの延焼を防ぐために造られた伝統的な壁なのだそう。

商品を守るため、耐火性に優れた「小樽軟石」で防火壁が造られました。

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風鈴そよぐ川沿い

工房では、吹きガラス体験も出来るそう♪
風鈴が心地よく響いています。

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風鈴のツリー 🎐

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スイカ🍉の風鈴

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愛らしい、てるてる坊主の風鈴

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残念ながら…19時で営業終了のため、購入する時間がありませんでした。

古き良き小樽

小樽浪漫館

雑貨屋さんのようです。17時半で終わっていた…。

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もともとは銀行(旧百十三銀行)だったそうで、重厚な雰囲気です。

どこも、お店が終了するのが意外と早いので要注意!

今回は、たまたま立ち寄っただけなので、通りの雰囲気を味わえるだけで満足です。


おや?こちらは露店のような?

小樽出世前広場

約120年前の「酪農会館」を再生した複合施設。
昔の豪商たちの邸宅へ続く「出世坂」の麓にあります。

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広場の中には飲食店。店先で食事している方々で賑わっていました。

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明治〜大正に小樽の雑穀商として成功した「小豆(あずき)将軍」の邸宅
「旧寿原邸(きゅうすはらてい)」が、今も坂の上の高台に建っているそうです。

古めかしい蔵がずらり…

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こちらは…かんざし屋さん?

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素敵な趣きの「かんざし屋」さんも、19時で終わっていました…。

明るいですが、19時超えています。

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堺町通りの情緒あふれるランドマークの一つ
「旧久保商店」(問屋さん)

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明治40年(1907年)に建てられた歴史的建造物です。

左側が「小樽軟石(石造り)」の蔵!右側が「木造」の店舗!
「木造石造折衷建築(もくぞうせきぞうせっちゅうけんちく)」という
小樽特有の貴重な建築スタイルなのだとか。
モクゾウ・セキゾウ・セッチュウ・ケンチク…すごい…


ウニ専門店「世壱屋 小樽堺町店」

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のぼりの丼は…「5大うに食べ比べ丼」?!

いつか食べてみたいものです。

(小樽つづきます…)

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札幌の歴史ある「円山動物園」へ!円山原始林の豊かな緑に包まれた、広大な施設と迫力満点の生き物たち。ダイナミックな姿に圧倒された1日です♪森と円山動物園入園料:800円 1951年(昭和26年)に開園した、北海道で最も歴史のある動物園です。円山(まるやま)は札幌の閑静 ...
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札幌の歴史ある「円山動物園」へ!円山原始林の豊かな緑に包まれた、広大な施設と迫力満点の生き物たち。ダイナミックな姿に圧倒された1日です♪

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森と円山動物園

入園料:800円


1951年(昭和26年)に開園した、北海道で最も歴史のある動物園です。

円山(まるやま)は札幌の閑静な高級住宅街ですが
動物園のすぐ隣に「円山原始林(国の天然記念物)」という自然の森が広がっています。

都会のすぐそばに、本物の原生林が残っているという、とても珍しい土地です。


キリリとした眼光鋭いオオワシ
大きくてカッコイイです。

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つぶらな瞳のアライグマ

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アフリカゾーン(キリン館)

迫力の巨大キリン

屋内の高い吹き抜けに、厳かに佇むキリンさん。
こんなに間近でキリンを見るのは初めてです。

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背が高〜〜〜い!

キリン柄の皮膚のシワが、洋服の生地のようにも見えます。

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ミーアキャット

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よっこらしょ…

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屋内と屋外を好きに出入りするサーバルキャット

しなやかで可愛くて美しい…動きまくるので、全く写真におさめることができません(笑)

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ダチョウ。ふぁさふぁさの羽根が暑そう!

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木陰でじっと涼んでいるシマウマ

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コモドドラゴン

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置物のように動きませんが、太い腕(前脚)と後脚が、その強靭さを物語っています。

見ごたえ抜群の「ゾウ舎」

2019年にオープンした屋内飼育場は日本最大級だそうです。

アジアゾウの親子が水浴びしたり、食事をしたり、自由に動き回る様子を観察できます。

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プール下から、水中の様子も見れます。

丁度開催されていた、飼育員さんの解説(ガイド)を聞くことが出来ました。

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とても広い動物園です。

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プールとホッキョクグマ

水中トンネルがあり、タイミングによって
泳ぐホッキョクグマも見れるそうです。

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円山動物園では、環境や生態に配慮した展示、
生き物本来の行動を引き出す「生息地再現(生息環境展示)」に力を入れています。

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壁の溝が冷たいのかな?

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カラフルな鳥たち


フラミンゴ


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インドクジャク(オス)

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艶やかなコバルトブルーに、可愛い冠羽。

鳥界はオスが派手で、その美しさを競って雌に求愛するというのが面白いですね。

「アマゾンの宝石」とも呼ばれるオニオオハシ

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ブルーの瞳と大きなくちばしが魅惑的です。

鈴木亮平さんがナビゲーターのテレビ番組「世界遺産」で見てから
1度この目で見たいと思っていたので、叶いました。


熱帯雨林館…はぁはぁ、暑い…

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まったり毛繕いをする猿山のお猿さん達

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巨木の森…カツラの木のようです。

円山動物園

室内展示ではゾウの骨格標本があり、びっくり…

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1953年に来園して、多くの人に愛されたアジアゾウの花子の骨格だそうです。

巨大な体を支える、太く大きな足と指…圧倒的なスケール感と命の歴史を感じました。

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