(福島) 羽根山の鹽竈神社 (大釜と大塩瓶)「松川の合戦」と神話
前回の鹽竈神社(宮城)の記事に、Mさんから「福島市にも塩竈神社があります」とコメントを頂戴しました。…そういえば、そう!たまに通った際に「宮城の塩竈神社と関係あるのかしら?」と思っていました。思い出させて頂きありがとうございます😄✨折角の機会なので、お詣りに ...
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前回の鹽竈神社(宮城)の記事に、Mさんから「福島市にも塩竈神社があります」とコメントを頂戴しました。
…そういえば、そう!
たまに通った際に「宮城の塩竈神社と関係あるのかしら?」と思っていました。
思い出させて頂きありがとうございます😄✨
折角の機会なので、お詣りに行きました。
道の駅 ふくしま、大笹生インターから車で約5分
駐車場入口

福島市大笹生(おおざそう)羽根山鎮座
鹽竈神社(しおがまじんじゃ)

3月3日(祈祷受付 8:00-15:00)
塩竈神社例大祭が行われる様です。

むむ?この杖は…? 何やら怪しい…

石段の先の鳥居の両端に大きな物体が見えます。

左側
大塩瓶

上杉謙信の「敵に塩を送る」エピソードが説明書きにあります。
その時代の塩貯蔵用に使用されたと言い伝えられる
十八石入の大瓶
(※ 石[こく]…体積の単位。1石=180.39ℓ
1石=10斗=100升=1000合)
右側
大釜

天文二年、上杉謙信の家来の炊き出しに使用され
1500人分を一気に炊けたとか!
大塩瓶、大釜を一対に宮城県より入手し奉納したそうです。
少し先に行くと右手にお社がありました。
大山祇神社 (おおやまつみじんじゃ)

山を司る神様のようです。
覗かせて頂くとお馬さんが奉納されていました。
先へ先へ…険しい登り道が続きます。


ふぅ…ふぅ…
杖の意味が分かりました…

兎と亀

昔昔、平野は湖で、水が引いた後に笹が沢山生えた事から大笹生(おおざそう)と云ったとか。

平野が湖の頃、羽根山は島で、大きな亀も居て「亀ヶ森」とも呼ばれました。
お伽噺の兎と亀のかけくら(かけっこ)も、この山辺りではないかと謂われたとか…?
お手水(ちょうず)は使われていません。

ひーはー( ˙∇˙ )💦
ここまで、12分くらいかかりました!


お賽銭は小さな白い枠の穴より投入
お賽銭泥棒対策でしょうか。

息も絶え絶えですが、良い見晴らしです。

慶長5年(1600年)、徳川家康の命により、仙台伊達政宗軍・伊達藩は
当時、米沢藩領地であった白石から国見、福島城までを攻め込みました。
この時代、米沢上杉軍はこの羽根山に陣を構え、敵進軍の見張り山として
山頂に山城を建て、昼夜監視を行っていたとか…
上杉軍は背後から伊達軍を奇襲し、大逆転勝利を収めました(松川の合戦)
一方、伊達軍は国見の厚樫山(阿津賀志山)のふもとに、福島侵攻の本陣を構えたそうです。
数年前、あつかし山の展望台に、母を連れて登りました。
国見という地名の通り、福島盆地を一望できるとあり…
展望台で撮った写真を気に入って、自分の部屋のフォトフレームに入れ飾っていた母
訪れた地を調べると、歴史が繋がっていたり興味深いです ५✍

鹽竈神社の御祭神
経津主命(香取神宮)
武甕槌命(鹿島神宮)
塩土老爺命
武甕槌命と経津主命が東北を平定した際に、先導したのが塩土老翁(シオツチノオジ)と伝えられています。
宮城の鹽竈神社と一緒ですが
「神(〜ノカミ)」が「命(〜ノミコト)」表記なのは何故…?
宮城の方は
経津主神(フツヌシノカミ) …右宮
武甕槌神(タケミカヅチノカミ) …左宮
鹽土老翁神(シオツチオヂノカミ) …主祭神
どちらの記述も間違いでは無いようですが「神」の方が上位な感じがします (知識が乏しくすみません…)
蹄の跡

古代神話の時代、福島盆地は湖(ウミ)でした。
塩土老翁神(シオツチオジノカミ)を道案内に、伏拝(フシオガミ)より筏(イカダ)にて、この羽根山に上陸
神馬を休ませた所、蹄(ヒヅメ)の跡が出来たそうです。
登るのが大変だったけど、降りるのもこわい!(笑)
足元に気をつけて、ゆっくり降りました。
―――――――[スタンプ宣伝]―――――――
[うさ福3 〜ゆる福島弁〜(BIGスタンプ)]

[うさ福 ~ゆる福島弁~]
[うさ福2 ~ゆる福島弁~]
福島工芸品モチーフ↓あいさつ文字多めの絵文字


…そういえば、そう!
たまに通った際に「宮城の塩竈神社と関係あるのかしら?」と思っていました。
思い出させて頂きありがとうございます😄✨
折角の機会なので、お詣りに行きました。
道の駅 ふくしま、大笹生インターから車で約5分
駐車場入口

福島市大笹生(おおざそう)羽根山鎮座
鹽竈神社(しおがまじんじゃ)

3月3日(祈祷受付 8:00-15:00)
塩竈神社例大祭が行われる様です。

むむ?この杖は…? 何やら怪しい…

石段の先の鳥居の両端に大きな物体が見えます。

左側
大塩瓶

上杉謙信の「敵に塩を送る」エピソードが説明書きにあります。
その時代の塩貯蔵用に使用されたと言い伝えられる
十八石入の大瓶
(※ 石[こく]…体積の単位。1石=180.39ℓ
1石=10斗=100升=1000合)
右側
大釜

天文二年、上杉謙信の家来の炊き出しに使用され
1500人分を一気に炊けたとか!
大塩瓶、大釜を一対に宮城県より入手し奉納したそうです。
少し先に行くと右手にお社がありました。
大山祇神社 (おおやまつみじんじゃ)

山を司る神様のようです。
覗かせて頂くとお馬さんが奉納されていました。
先へ先へ…険しい登り道が続きます。


ふぅ…ふぅ…
杖の意味が分かりました…

兎と亀

昔昔、平野は湖で、水が引いた後に笹が沢山生えた事から大笹生(おおざそう)と云ったとか。

平野が湖の頃、羽根山は島で、大きな亀も居て「亀ヶ森」とも呼ばれました。
お伽噺の兎と亀のかけくら(かけっこ)も、この山辺りではないかと謂われたとか…?
お手水(ちょうず)は使われていません。

ひーはー( ˙∇˙ )💦
ここまで、12分くらいかかりました!


お賽銭は小さな白い枠の穴より投入
お賽銭泥棒対策でしょうか。

息も絶え絶えですが、良い見晴らしです。

慶長5年(1600年)、徳川家康の命により、仙台伊達政宗軍・伊達藩は
当時、米沢藩領地であった白石から国見、福島城までを攻め込みました。
この時代、米沢上杉軍はこの羽根山に陣を構え、敵進軍の見張り山として
山頂に山城を建て、昼夜監視を行っていたとか…
上杉軍は背後から伊達軍を奇襲し、大逆転勝利を収めました(松川の合戦)
一方、伊達軍は国見の厚樫山(阿津賀志山)のふもとに、福島侵攻の本陣を構えたそうです。
数年前、あつかし山の展望台に、母を連れて登りました。
国見という地名の通り、福島盆地を一望できるとあり…
展望台で撮った写真を気に入って、自分の部屋のフォトフレームに入れ飾っていた母
訪れた地を調べると、歴史が繋がっていたり興味深いです ५✍

鹽竈神社の御祭神
経津主命(香取神宮)
武甕槌命(鹿島神宮)
塩土老爺命
武甕槌命と経津主命が東北を平定した際に、先導したのが塩土老翁(シオツチノオジ)と伝えられています。
宮城の鹽竈神社と一緒ですが
「神(〜ノカミ)」が「命(〜ノミコト)」表記なのは何故…?
宮城の方は
経津主神(フツヌシノカミ) …右宮
武甕槌神(タケミカヅチノカミ) …左宮
鹽土老翁神(シオツチオヂノカミ) …主祭神
どちらの記述も間違いでは無いようですが「神」の方が上位な感じがします (知識が乏しくすみません…)
蹄の跡

古代神話の時代、福島盆地は湖(ウミ)でした。
塩土老翁神(シオツチオジノカミ)を道案内に、伏拝(フシオガミ)より筏(イカダ)にて、この羽根山に上陸
神馬を休ませた所、蹄(ヒヅメ)の跡が出来たそうです。
登るのが大変だったけど、降りるのもこわい!(笑)
足元に気をつけて、ゆっくり降りました。
―――――――[スタンプ宣伝]―――――――
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[うさ福 ~ゆる福島弁~]

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福島工芸品モチーフ↓あいさつ文字多めの絵文字
赤べこと仲間たち♪
あいさつ絵文字♡福島弁

