日日是10年。おもひで手帖

夫との日々を「イラスト」で、旅先の美味しい出会いや手料理を「写真」で綴る、暮らしの記録帖。13年住んだ仙台から札幌を拠点に。(2016.2開設)

タグ:開拓の村

ゴールデンカムイのロケ地「北海道開拓の村」移築された旧青山家漁家住宅へ!網元と出稼ぎ漁師の暮らしや格差、巨大なニシン船、そして作中のロケ地を巡ります。札幌市厚別区の「北海道 開拓の村」前回、北海道大学の恵迪寮の話を書いて、力尽きてしまいましたが、見所が沢山 ...
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ゴールデンカムイのロケ地「北海道開拓の村」移築された旧青山家漁家住宅へ!網元と出稼ぎ漁師の暮らしや格差、巨大なニシン船、そして作中のロケ地を巡ります。



札幌市厚別区の「北海道 開拓の村」

前回、北海道大学の恵迪寮の話を書いて、力尽きてしまいましたが、見所が沢山です!


▽ 青春…恵迪寮(2026.6)


開拓の村は、大きく《市街地群、農村群、山村群、漁村群》と4つのエリアに分かれています。


村内のメインストリート《市街地群》では「馬車鉄道」が運行されています。(4月中旬〜11月)

明治・大正時代の雰囲気。

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今回は《漁村群》に残る「網元の家」を振り返りました。

この夏、小樽、厚田…と、いかにニシン漁が盛んだったかを見てきたので、良い機会です。

大規模!「旧青山家 漁家住宅」

  
いやー、広い広い!

歩き進めると、奥に立派な「ニシンの家」が見えてきます。

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明治から大正にかけて、小樽のニシン漁で巨万の富を築いた大網元・青山家の建物です。

↓「小樽 貴賓館(旧青山別邸)」の青山家です。


いわゆる「番屋(漁場建築)」です。

母屋、文庫倉、石倉、板倉など計7棟がまとまって、こちらに移築されました。

もともとは小樽市祝津にあり、母屋、ヤン衆(出稼ぎ漁師)の居住スペース、
見張台などが一体となった大規模な漁家住宅でした。

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2つの玄関「網元とヤン衆」

  
明治時代からあった古い母屋は火事で焼けてしまい
1919年(大正8年)に2代目・青山政吉が母屋を再建した際、玄関を2つに分けました。

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右側の玄関…親方・家族用。立派なひさしが付いたデザイン。
左側の玄関…ヤン衆用。むくりのある、やや簡素な造り。

左から入ると、漁師たちが寝泊まりする、吹き抜けの大部屋と土間へ直結しています。

初代・青山留吉や2代目・政吉、青山家の一族も実際にここで暮らしていたのかしら…?

ヤン衆たちの居住スペース

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囲炉裏のある板張りの空間は、通称「ネダコ(寝床)」

『ゴールデンカムイ』の撮影にも使われた大広間です。

ニシン漁のシーズンになると、全国から集まったヤン衆たちがここで寝食を共にしました。

2階ロフトも合わせ、一人あたり畳1枚分のスペースに布団を敷いて、60人が雑魚寝〜!


春先の北海道の海はまだ、凍てつく寒さ…囲炉裏で濡れた作業着や草鞋を乾かしていたそうです。

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親方の帳場と畳間

網元やその家族が商売を仕切っていた場所です。

手前に敷かれているのは獣皮。(財力と権力を象徴)

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網元や番頭は、格子に囲まれた「帳場」で、台帳やお金の管理、漁の指揮を行っていました。 

「釜焚き作業」

  
当時のニシン漁は、食べる為ではなく「油」と「肥料」を製造していました。

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大きな釜に水を張り、薪を燃やして、獲れた大量のニシンを茹で
専用の道具で絞って「ニシン油」と「ニシン粕(かす=肥料)」に分けました。

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この「山」の中に「十」が入ったマークは、網元・青山家の屋号。読み方は「ヤマジュウ」

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初代・青山留吉の名前が記された木箱が、ずらっと蔵に収納されていました。

「黒膳椀」や「八角皿」は「ハレの日の祝宴」や「来客」用食器だそうです。

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大網元はニシン漁のシーズンの開始時や、大漁の際、地元の有力者などを招いて、大宴会を開きました。

そのため、こうした「もてなし用食器」が、いつでも使えるように大切に保管されていたんですね。

お米やお酒もいっぱい!

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「廊下」(船倉・漁具倉庫)

漁期が終わったあとに船や櫓(ろ)などの大型漁具を格納していた、青山家専用の倉庫。

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巨大な「ニシン船」

  
中には長さが約13メートル、幅が3メートル以上という巨大な2隻の船が!

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こちらは明治44年建造。

「枠船(わくぶね)」というニシン漁の主力船です。

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はい!他の番屋も見ていきましょう!

「旧秋山家漁家住宅」

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青山家のすぐ近く明治・大正期に活躍した網元・秋山嘉七(かひち)の家です。

秋田県から北海道の羽幌(はぼろ)町へ移住し、3代にわたって漁業を営んでいました。

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大正9年(1920年)に建てられた、この木造の漁師家(番屋)に
昭和53年(1978年)つまり…48年前まで、実際に家族がそのまま暮らしていたそうです。

秋山家がこの家を離れたあと、建物が「北海道開拓の村」へ移築・復元されました。

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何百人もヤン衆を雇う超巨大な「大網元」だった青山家に対し、
秋山家は家族や数人の雇い手で漁を行う「中小規模の漁家」でした。

とはいえ、建物は立派で、当時としては裕福な暮らしぶりを今に伝えています。

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『ゴールデンカムイ』聖地巡礼

  
北誠館(ほくせいかん)

《農村群エリア》に移築されている「旧田村家・北誠館・蚕種製造所」です。

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『ゴールデンカムイ』で、土方歳三が拉致・監禁された
「阿寒湖周辺の養蚕農家」のモデルとして使われ
ました。

作中にも登場した、蚕のオスメスを見分ける「種繭雌雄鑑別器(しゅけん しゆう かんべつき)」です。

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山本理髪店

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巡査派出所

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旧浦河支庁庁舎

家永カノが経営する「札幌世界ホテル」の外観に使われました。

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『ゴールデンカムイ』は本物の歴史的建造物を使い、贅沢な空間で撮影した作品なんですね〜。

“不死身の杉本” 山﨑賢人さんが引きずられたソリ!

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他にも、撮影に使われた建物は沢山ありますが、それはまた気が向いたら…という事で!

長々、お付き合い下さりありがとうございました。

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 北海道開拓の村へ!120年前のエリート学生たちの息遣いが残る、重厚な木造建築「恵迪寮」の見どころをレポート。クラーク博士は実はここを歩いていない?名前の由来は?「創基150周年」を迎える北大の歴史を時系列でご紹介します。「北海道 開拓の村」へ明治から昭和初期に ...
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北海道開拓の村へ!120年前のエリート学生たちの息遣いが残る、重厚な木造建築「恵迪寮」の見どころをレポート。クラーク博士は実はここを歩いていない?名前の由来は?「創基150周年」を迎える北大の歴史を時系列でご紹介します。

「北海道 開拓の村」へ

明治から昭和初期にかけて建築された、開拓当時の歴史的建造物を移築再現した野外博物館です。


札幌市内(厚別区)にこんな場所があるなんて…

入場料:¥1000(道民)¥800

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今回は、北海道大学の寄宿舎をご案内します。

「恵迪寮(けいてきりょう)」

明治36年(1903年)に現在の北海道大学の構内に建てられた、二代目の恵迪寮の一部です。


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趣のある外観。クラシックで重厚な木造建築。

玄関棟と、学生たちが生活していた南寮の一部を、解体し開拓の村へ移築・復元したものです。

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ここは舎監室だったかな…?

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木造の廊下を、当時の学生たちが、実際に歩いていたと思うと、エモい。

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柱に掛けられた「生徒監部」の木札

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生徒監部…風紀や秩序を取り締まる、先生や職員で組織された部署だそうです。

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「生徒監部(大人)」VS「自治会(学生)」と、火花を散らしていたのかもしれませんね。

明治、大正、昭和……と、たくさんの北大生たちの青春を見守ってきた宿舎です。


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120年前の青春

寮生たちの部屋の雰囲気が再現されており、当時の学生たちの息遣いを感じることができます。  

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窓からの柔らかい日差し、ノスタルジックな床板に落ちた格子の影。

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時が止まったような、静謐な空間。

ふと、綾瀬はるかさんと三浦春馬さんのドラマ『わたしを離さないで』の寄宿舎を思い出しました。

寮の歴史

📌 1876年(明治9年):クラーク博士が来日し、札幌農学校が開校

🏠 1876年:初代寄宿舎が完成(現在の時計台の近く)

【札幌農学校寄宿舎発足時の洋風な夕食】

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昔の学生はバターやお肉に、かなり抵抗があったようです。
カレーが出る時は米🍚が食べれる!と喜ばれたそう。

📌 1877年:クラーク博士が「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」の言葉を残して帰国

【クラーク博士の自筆の書】

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🏠 1903年 (明治36年):二代目寄宿舎が完成(この『開拓の村』に移築された建物)

札幌農学校が、現在の札幌市中央区(時計台の近く)から
現在の北海道大学の場所(札幌市北区)へ移転。
それに合わせて新しく建てられた木造の寄宿舎です。

クラーク博士が札幌に滞在していたのは、1876年から僅か《8ヶ月間》だけなので
1903年完成の、この建物を博士が歩いたことはないんですね〜。

日本を背負って立つ、次世代のリーダーと期待されたエリート学生。学帽にマント。洒落とる。

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バンカラな若者たちの空気感。

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💡 「恵迪寮」の名付け親は?

📌 1907年(明治40年):「東北帝国大学農科大学」に昇格することが決定

1907年4月8日「記念祭(舎生大会)」が開催され
中国の古典から引用した『恵迪寮(けいてきりょう)』という名前が満場一致で決議

🔍 由来
「恵迪吉(みちにしたがえば、きちなり)」
…「正しい迪(みち)に恵(したが)えば、吉となる」という意味。[中国の古典『書経』の一節]

まさに「自治寮」という感じです。
熱い議論を交わしていたんだろうなぁ。

📌 1931年(昭和6年):大改修

寮生が増え、老朽化などのため、新しく別の棟を増築、一部を大きく建て替え

【昭和初期の寮の朝食】

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🏠 1983年(昭和58年):三代目恵迪寮へ(鉄筋コンクリートの建物)

1903年築の木造寮舎が、80年の役目を終えて閉舎。
さらに北側へと移転し、鉄筋コンクリート製の新しい建物に生まれ変わる

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現在も北海道大学の敷地内には現役の「恵迪寮」が!

🏠 2023年〜(令和5年〜):四代目恵迪寮

老朽化に伴う大規模な改修・建て替えが行われ、新しい「四代目」としてスタート

開拓の村にある木造建築から、現在の、近代的なビル型の建物へ…時代の移り変わりを感じます🍃

💡北大の歴史「創基150周年」

「北海道大学」は、もともと「札幌農学校」としてスタートし、時代とともにその名前を変えてきました。

「創基150周年」は「ルーツ(基盤)ができてから150年」という意味で、札幌農学校の誕生が起点になっています。
  • 1876年(明治9年)8月:札幌農学校(←ここが「創基」!)
  • 1907年(明治40年)9月:東北帝国大学農科大学
  • 1918年(大正7年)4月:北海道帝国大学
  • 1947年(昭和22年)10月:北海道大学(現在へ)

歴史のロマンがぎゅっと詰まった、ノスタルジックな恵迪寮。

開拓の村を訪れた際は、当時のバンカラな学生たちの足音に、ぜひ耳を澄ましてみてください♪

▼ 北大を歩く(2025.10)


▼ クラーク博士(2025.9)




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