【小樽の光と影・前編】ニシン大網元列伝
歴史の街・小樽の「光と影」。前後編に分け、今回は明治・大正に訪れた「光」の時代を辿ります。ニシン漁で巨大な富を築いた大網元たちと、一穫千金を夢見て集まった労働者達のドラマ。▽ 前回、実際に漁夫達が暮らした家を見ました。 この夏「ニシン御殿」を見て回り、たく ...
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歴史の街・小樽の「光と影」。前後編に分け、今回は明治・大正に訪れた「光」の時代を辿ります。ニシン漁で巨大な富を築いた大網元たちと、一穫千金を夢見て集まった労働者達のドラマ。
▽ 前回、実際に漁夫達が暮らした家を見ました。
ふと、最初に小樽へ行った時に見た、小林多喜二のレリーフを思い出しました。
▽ 29歳の若さで、拷問死した小林多喜二(2024.10)
労働者運動が起きる程、暗黒時代に突入してしまった流れを今1度おさらいしたい…
AIナビゲーター君に案内してもらいながら、小樽の歴史を振り返る回です。
ヤン衆と親方

青山家が最盛期に雇っていたヤン衆は100〜数百人規模ですが、
松太郎の元で働く漁夫は、最盛期には2000人。漁期以外でも年中300人を養っていました。
松太郎は文字が読めない代わりに「魚の通り道が直感で視える」という才能があったと言われています。
カリスマ青山親子

ヤン衆自身の「リアルな声」の記録は少ないです。
彼らが声を合わせて歌った「ソーラン節」が彼らの心の叫びだったでは?と、Gemini。
文字として残せなかった代わりに、北海道の民謡に想いを刻んできたのかもしれません…。

ヤン衆たちがネダコで、泥臭く共同生活を送る一方
3代目・政恵は、畳が敷かれたお部屋でお姫様のように大切に育てられたといいます。
そして、ついに政恵お嬢さまはヤン衆のいる喧騒を離れ、極上な別邸をプロデュースし、作り上げました。
大網元・富豪度比較

比較すると、箱館の相馬哲平が桁外れな大富豪だとわかります。
▽ 相馬哲平の寄付で建てられた函館区公会堂
政恵の経営手腕
政恵は単なる「贅を尽くしたお嬢様」ではなく、その後は優秀な経営者となりました。
結婚後、政恵はニシン漁の利益で、土地や不動産を積極的に購入していきました。
当時、小樽は「北のウォール街」と呼ばれるほどの経済都市へと発展しており、都市部の不動産ニーズは絶大。
安定した「地代・家賃収入」が、ニシン漁が不漁に陥った際、家計と雇用を支える強力な盾となりました。
不動産投資が、今で言うリスクヘッジになったわけですね。
(つづく)
▽ 30億円の夢の豪邸(小樽貴賓館)
▽ 祝津御三家を合わせても敵わない、別格の大網元・佐藤松太郎
▽ 祝津網元・白鳥家の石蔵と北前舟の金澤邸を移築したお蕎麦屋さん
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